関東は雪が降った日。

やばい・・・寒い、ではなくわりと乗り越えられました。

 

わりとブログの更新ができていて、やればできるじゃん、と

調子に乗りかける危ない時期です。

まずは三日坊主にはならなかったのでよかった。

 

今日は「コミュニティスペース」界隈のなかでは気になっていた

東京は港区田町駅に近い「芝の家」に行ってきました。

 

通常のオープンではなくイベント日であり、

もやもやフィールドワーク 報告と対話」の日。

 

芝の家は飲み屋の連なる路地を通って行ったちょっと先にある場所で

ふっと周りは暗くなるなかで、縁側があり、中の様子や光が見えて、

都心では見かけない光景。

 

田舎ではちょっと門や入り口から進むと家のなかが見えるぐらいの

家もあるような印象(印象なので根拠はない)。

 

「対話」や「他者や自身の理解」ということを考えるなかで、

そのためのワークショップやゲームをつくったという報告を聞く。

 

そういう発表をまじめに聞く人がたくさんいる場ってあまりなかったので新鮮。

学術的な報告会とかであればそういうの多いのか?はて?

 

後半は20人ぐらいで1つの大きな輪になり

「遊びは何を生み出す?」をテーマに哲学カフェ。

 

そもそも遊びとは?だけでもかなり話がひろがっていた。

じぶんとしては

・遊びはとりあえず楽しい。

・行為と遊びか遊びじゃないかは別

・遊びか仕事は本人が決めることでもあり、他者が決めることでもある

・遊びは失敗を学ぶ場でもある

・遊びはゆとりであり、リフレッシュさせるもの

かなと思った。

 

すごい抽象的で、これがいったいなんの役に立つのかわからないけど、

それの「役に立つ、立たない」も判断の仕方であり、感じ方であり。

 

が、「役に立たないことが悪い、無駄」でもなく、

そういった「無駄なこと」「なくてもいいもの」がある生活のほうが

うるおいを感じたり、ゆとりを感じたりできるし、で

その無駄を肯定できる社会のほうが好きだなーと思った。

 

「必要なものしかない」「効果的なものしかない」はつまらない?

「無駄なことしてぇーーーーーー」とたまになるのは俺だけ?

 

 

そんなことないはず。

 

 

東京ディズニーランドの

イッツ・ア・スモールワールドはご存知かと思います。

 

それが怖いという知人がいて。

 

イッツ・ア・スモールワールドといえば、

「せーかいはせーまい、せーかいは・・・」という曲が流れるなか、

ゆったりと水路をボートのようなものに乗り、流れていくアトラクションです。

 

スピードも出ないし、落差もないし、驚かすような仕掛けもありません。

小さな子も含めて、「みんなが乗れる」という認識をされるアトラクションの1つ。

 

その話を聞いたのはその友人といっしょにディズニーランドに行ってたときで、

「なんだそれー、なんでー笑」とみんなにからかわれていたのでした。

 

それをふと思い出したのは「ビジネススマイル」について

頭のなかでちょこっと考えたとき。

 

ビジネススマイルは「本心ではない」とか「うそっぽい」などとされることが多い。

 

「本当は別のことを考えてるのに、体裁を良くみせて、その本心を見せない」

「裏があるのではないのか」

「現実味がない」

 

イッツ・ア・スモールワールドは世界平和と歌っているけど、

「みんな笑ってみんなハッピーなところしか見せない」。

 

悪役はもちろん悪いことをするのだけれど、

結局は利己的であったり、自分の感情に正直であったり、

それはそれで人間らしいし、そういう存在がいることで現実味を感じる。

 

そういった「利己的」であったり、憎んだり、悲しんだり、

怒ったりという側面もあるのに、それが一切ないという世界観や、

現実はいろいろなものを抱えているのに、

そういったものがない世界感を作ったり、見せたりする大人や社会を

「不自然」「怖い」ものと感じるのかもしれない。

 

「ビジネススマイル」の

「内面の感情を押し殺してでも、いつでも笑顔」というのもたぶんそれ。

 

「いじめはよくない」と言いつつ、

同僚や知人に嫌がらせを言ったりしているのを見て、

「信じられないなー」と思う。

 

理想の価値観があるとしても

「その実現ってむずかしいよね」ってほうが現実的で信じられる。

 

今月はあれこれと企画をやったのだけど、

 

「1人でやれるようにならなきゃ」

「フリーランスなら1人でこなせなきゃ」

「なんとかなるけど、みんながいたらもっとよくなるなぁ」

「だけど、仲間がいたらいいな・・・」

「でも巻き込んだら大変そうだしな」

「どうやって声をかけたらいいんだろう」

 

という感情をぐるぐるとさせながらやってた。

 

あぁ、これは

自分でやった方が早い病 にかかってるところあるなーって自覚。

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「頼り方」「任せ方」「チームのつくりかた」

そういうところにつながっているけど、ここが自分だめだ。

 

明後日のイベントも「楽しみ」だけど、

いまのところ申込みが少ない。

のだけど、「どうしてだろう、どうしたらいいかな?」と言えない。

「告知協力してくれませんか」もなかなか言えない。自分のなかの壁だ。

 

それはつまり「信頼関係できてないのでは?」と言われると

そういうことなのか、どうなのかは分からない。

もしそうだとしたら、そういう風に考えるのはいいのだろうか、

「信頼」をそういう風に捉えるのはどうなのだろうか、と思わなくない。

 

1人でなんでもやろうとして、結果的に振り返ると

うまくいかない、ひろがらない、ということを感じている人がいたら話したい。

 

し、いまいっしょに活動しているメンバーとも話がしたい。

 

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どこにいけばいいのだろうか、という問いは

自分の中にも、他の人のなかにもあると思う。

 

情報を知りたい、人と話したい、相談したい。

 

この中でどこが行きやすいかは人それぞれだとは思うのだけど、

 

情報を知りたい、であればシンポジウムや講演会にいけばいい。

行って話を聞いて終わり。気になることはあるけど、ある程度きければ満足。

 

相談したい、は相談役や聞き手がはじめから居てくれる。

どれだけ受け入れてくれるか、力になるかは別として、聞いてくれる、相談しても大丈夫。そして、話すことは自分の悩み事。

 

とわりとはっきりしているし、一方方向でも成り立つものだけど、

「人と話したい」は一方方向ではなく、「相手」がいて「双方向」の関係性。

相談役や聞き役でもなく、どんなトーンやテンションで話せばいいのか、

相手に合わせることが必要だったりする。

話題にしても何を話せばいいのか分からない。

有益な情報が得られるとも限らない。

何かプロジェクトをいっしょにしたり、目的を共有したりしてるわけでもない。

 

こう見てみると、「人と話したい」という気持ちを満たす場所って

けっこうむずかしい。そして、ニュースにもなりにくい。

だれかを呼んでお話してもらうのはニュースになりやすくて、

「市民同士があつまってお話します」はニュースになりにくい。

 

どれも大事なことであり、目的や効果は違うこと。

 

自分は「場所」を探しつつ、「なんかなぁー」という気持ちをいだきつつ、

だけど、自分ではそのもやもやを言葉にもできず、場所も見つけられずにいた。

 

「同じ者同士」でありつつも「違うもの同士」であって、

その中で共有や発見をして、いっしょに話をしたい。

 

「聞く」だけじゃなくて互いに「話したい」。

 

「年に一度の」ではなくて、「また会いたい」。

 

おおきなイベントだとしても、参加しても、

一言も話さずに帰ってくるということもあった。

 

「いろんな人がいて、応援してくれる人がいる」とは思えたけど、

「話ができる」「友達ができる」と思えなかった。

 

それは「積極性が足りない」「思い切って声かけよう」ということなのかもしれない。

分かっていてもできないこともあるし、

「できる人ベース」ではなく、なるべく「みんな」で考えたい。

 

そんな過去の「さびしさ」を思い出したりしながら、

イベントをやっている。

「地味」なんだろうけど、「あったかい」と思ってもらえるように。

ブログを書いていこう!

 

と思ったけれど、やっぱりかくのは大変。

 

いままでやってないから。

 

3週間つづければ、人生が変わる と言われてますので、

 

まずはやってみることに。

 

そして、クオリティはまずは求めないことに。

 

ブログを毎日更新してる人のなかには

 

もっともっと忙しい人、やることたくさんあるはずなのに、

 

日々更新しているわけで、

「忙しい」「時間がない」を言い訳にしないでやっていこう。

 

気持ちのなかは起きている間にいろんなことを思っていて、

 

それを文字にしているかどうか。

 

気持ちを文字にする、という習慣から。