私、しつこい。

 

お墓参りの際に

義母の墓石を拭きながら

言うのです。

 

お彼岸にも

また、同じことを...

 

「お義母さんランチ行こう!

って言える嫁なのにね。

やり返しもしないし、この家のことを

やり切る嫁やのにね。

意地悪に命を燃やして

オカン、賢くなかったで。」

 

義母の墓石の法名には

「賢」という文字がある。

 

義母が生前

墓相の先生と相談し

「賢」と言う文字を

入れたそうです。

 

何故か

お墓参りのたび

この一文字に引っ掛かる。

 

そして

こんな文字に引っ掛かる自分に

嫌気がさす。

 

一周忌が終わって

この気持ちから

卒業できると思っていたのに...

 

 

また、いつものように

一気に

読売新聞の「人生案内」を読んだ。

 

その中で、ぎょぎょっ

我が家のことか?と

 

前のめりになった記事があったので

紹介させていただきます。

 

 

私の場合は

義母との関りは27年間。

 

スープの冷めない距離の

別宅の付き合いだったけど

 

相談者さんと似たような出来事が

多々ありましたので

 

お気持ちがよくわかります。

 

昨年5月からブログに綴ることで

皆さまに読んでいただき

徐々に、心も整理されてきました。

 

これは

本当にうれしい事です

ありがとうございます。

 

さて、このたびの相談者への返答は

診療内科医の

海原 純子先生です。 

 

 

義母と嫁の関係のほかに

親子

夫婦

兄弟姉妹

でも、こんなことがあるかも⁈ですね。

 

『仏壇の前で、

ひとりごとを言ってみては

どうでしょう。』と先生。

 

海原先生が提案されている

ひとりごとの例を読んで

安堵感が湧いてきました。

 

ちょっと

いたずらっ子みたいな言葉を

返してもいいんだよね。

 

ユーモアに

言っちゃっていいんだよね。

 

仏壇の前で

義母だけのために

手を合わせられなくて

いいんだよね。

 

墓石の前の

ひとりごとも

いいんだよね。

 

夫は

そんな私を全く責めはしないけど

 

いつも

罪悪感が残ってしまってた。

 

海原先生の返答を読んで

その罪悪感が

スーッと消えてゆく感じ。

 

相談者さん

ありがとうございます。

 

私まで

ご返答いただいた気分です。

 

 

身をもって感じるのは

 

人を痛めてはならないってこと。

 

人生最後に

どう生きてきたかがわかるもの。

 

財や名誉ではなくて

 

その人の内なるものだけが

浮かび上がる。

 

50歳

もう遅い?

 

まだ変われる?

 

義母の姿が

嫁の姿にならぬよう

 

地味にぼちぼち

いきますよ

 

義母の介護で得たことは

これだな...