この物語はフィクションです。

 

モヒカンとの最期の休暇を過ごした後のピアスの心身の変化を、もしモヒカンが傍で認知していたとしたら、彼は人生の同じ選択をしていただろうか?そう思うとピアスは胸が激しく締め付けられる。

 

モヒカンの住む集落から街に戻ったピアスを待ち受けていたのは、以前にも増して多忙なスケジュールだった。所属する事務所に、大きな仕事の依頼が舞い込んできたのだ。元々、ピアスには、如何にも芸能界上昇志向風のタレントとは一味違う方面の起用が多かった。マニアックな趣味であったり政治的な見識を求められるものであったり、事務所側も、このタレントの素質を見抜き、ピアスには すぐにブレイクしなくとも、安易に凡庸な路線で売り込むより、彼女ならではという仕事を選んで経験させていく方が後に繋がる、と考えている節があった。今回の仕事は全国ネットの報道帯番組への出演依頼だった。無名芸能プロダクションとしては、所属タレントや事務所の名を世に知らしめる またとないチャンスであり、何が何でも逃したくない一件だった。それは同時に、嘗てのピアス自身が夢見た日々でもあったはずだ。しかし本音を言うと、彼女の心は もうそこにはなかった。モヒカンと逢引きを始めた一年ほど前からの彼女には既に呆れるほどモヒカンのことのみしか無かったのである。

 

彼と同じ土地の空気、彼の思想や音楽や生活やに寄り添って生きていきたい。そんな一人の女としての素朴な思いは日に日に強くなり、抑えきれなくなってしまっていた。事実、親しい友人や、仕事関係の人間であっても気を許した者には、その心境を打ち明けていた。しかしやはり その相談に対して、ピアスがモヒカンという人物に関し、詳しく話せば話すほど、手放しで歓迎する、といった反応は殆どなく、大体は「気持ちは分かるが、もう少し落ち着いて、よく考えてみたら」といったアドバイスをされることが多かった。相談した相手に悪気があるわけではなく、寧ろ、自分の事を思い、そう言うのは分かっていたが、ピアスには それが歯痒くてならなかった。

 

あの四日間の休暇の後も、毎晩、モヒカンに電話し、自分の意思は伝えていたつもりだった。しかし当のモヒカン自身が、周囲にいる友人や仕事関係の人間と変わらぬ様な反応だったので、何度か不満を漏らした夜もあった。二週間目になり、突然、自分からの電話にモヒカンが出なくなった時には、遂に自分は彼に嫌われてしまったのかと泣いたりもした。その期間に彼に何が起こっていたのか、離れて暮らす自分は何も知らなかった。ただ純粋に、自分の想いを受け取ろうとしないモヒカンへ、恋人として苛立ちを覚えたという理由で、何日か此方から電話をするのを止めていたほどだった。世の中ではSNSなども普及し始めてはいるが、モヒカンは その様なものに熱心になる男ではない。彼の情報は それから一ヶ月、ピアスに一切届かなかった。

 

しかしピアスには、それとは別の方向から、極めて強く、モヒカンを意識せざるを得なくなる現象が、他ではなく自身の体内で起こっていた。ちょうどモヒカンと音信不通になった前後から、妙に自分の五感が過敏になっている事は感じていた。

 

(モヒカンと話せないので身体が苛々しているのかしら?)

 

などと二、三日は特に気にも留めていなかった。しかし その後も急に眩暈がしたり、腹部に張った様な感覚が出始めた時、ピアスは確信を持った。

 

(お腹にモヒカンの子がいる)

 

女が、初めての子を腹に宿した時、どんな事を感じるものなのだろうか?自分は未婚である。しかも相手はモヒカンという、一筋縄にいかない種の男だ。その男とは ここ数日、連絡も取れていない。これからの仕事とか生活のことなどが思い巡らされるものなのだろうか?だというのにピアスには その自分の体の事実が一点の曇りもなく喜びでしかなかったのだ。例えば、もし この事実を彼に伝え、彼が自分に対し想像もしない様な酷い反応をしたとしても、自分は嬉々としていられる自信があった。何故なら自分はモヒカンの持つものが欲しかった。あの悲しみを自分の一部としたかった。それを この身に宿せたという出来事そのものが幸福だとしか感じられないのである。これでもう たとえ自分が、この先、彼と共に暮らし生きていけなかったとしても、彼は自分から魂の部分で離れられないのだから。

 

自分が、そんな個人的幸福の極みともいえる状態にあった時、モヒカンに起こった彼是を思えば、それを因果などと軽い言葉で表現するのは足りなさ過ぎる。これが神の采配などと言うのなら、それはあまりに残酷の度を越しすぎてはいないだろうか?モヒカンの身辺に起こった全てのことをピアスが知ったのは、あの四日間の休暇から、一ヶ月以上後の事だった。偶々目に入ったライブスペース岬のSNSの報告で、モヒカンの死を知り、まさかと思い、彼の地元の共通の友人に連絡をし、その経緯を聞いたのだった。

 

妊娠が正確に発覚した、ここ数日のピアスは、いつ、どの様に この報告をモヒカンにするか?彼は どんな顔をするか?その場面ばかりを想像していた。無垢な少女の様にである。しかし それは呆気なく無き事とされた。例えば、自分の報告を受けたモヒカンが、跳びあがって喜んだとしても、逆に冷血に突き放されたとしても、それは彼が生きているからこそ、見れる彼の姿だ。あれほど愛した あの男は もう 自分に微笑むことも傷つけることもない。この腹に宿った我が子の存在を永遠に知ることもないのだ。どれほどの仕打ちがあっても これ以上ではないと思った。

 

しかし信じられないかもしれないが、ピアスは絶望しなかったのである。衝撃と悲しみに打ちひしがれながら、モヒカンと自分との間に起こった奇跡に心を震わせ、腹に宿った我が子と共鳴したのだ。未だ この身体は彼を求めている。この先、彼のように誰かを愛すことなど到底 できそうにない。彼は私の望みどおり、悲しみを私の身体に深く刻み込んだ、身悶えするほどに愛した彼の孤独や寂寥を今、自分は身をもって味合わされている。しかしそれはモヒカンが自分に全身全霊で伝えようとしたエクスタシーだった。

 

 

つづく。