この物語はフィクションです。

 

 

いつもの岬にてモヒカンのバンドは演奏を始めていた。通常よりも少し多めの 地元の前衛的な若者を中心に十数名ほどの客があった。その夜のモヒカンの眼光には彼特有の翳りが一層深く澱み、少々大袈裟な言い方で表現するならば、その音も佇まいも、この世のものとは思えないほどの虚無を漂わせ、観る者をゾクゾクさせた。彼の何が他とは違うのか?を適確に言おうとすれば、言葉は陳腐になってしまう。実際にモヒカンのベースプレイの技術のみを真似するのは、少し心得のある者なら難しくもない。演奏以外の部分、例えば発想であったり、パフォーマンスであったり、ルックスであったり、そういった要素も特に何かが突出しているわけではない。バンドの演奏する曲は、どこにでもあるガレージパンクだし、彼はステージで飛んだり跳ねたりといった特に派手なパフォーマンスをするわけでもない。ただ無表情で いつものベースラインをなぞるだけだ。ルックスも雰囲気はあるが、特に美形というわけでもない。一般的には醜男とされる類だ。では音楽活動以外の部分での話題性が、彼の演奏に説得力を与えているのか?といえば そればかりでもない。不良性のみで語るなら、数少ない、この辺境の若者のみを集めただけでも、武勇伝を持つ名が次々と挙がる。辺境のカリスマたるモヒカンの理由を言い表すのは難しい、また それを試みるのは野暮でもある。しかし敢えて それに挑戦するならば、この田舎町の小さく粗末なライブスペースで彼が演奏する事の、相応しさ、に代わりが存在し無いのである。自ら選んだわけでも、誰かにプロデュースされたわけでもなく、彼が岬で二、三日に一度、安物のベースを奏でる事に態とらしさが一欠片も見当たらない。そして彼の演奏は、この田舎町で疎外感を持ちながら暮らす、少数派の若者たちの代弁者として機能しているのだ。モヒカン自身にも その自覚があった。しかし それを彼自身の感想として言うなら、こう言うことになる。

 

(俺の居場所は 此処くらいしかない)

 

この片田舎で燻るロック被れの成らず者、としてなら、自分の生命も説明がつく。或いは ごく一部の者らへのメッセージを体現していることにも成り得るのかもしれない。自分は、これまで何一つ、自力でやり遂げた事もない男ではあったが、確かに、事あるごと成らず者としての自分を意識し生きようとしてきた憶えもある。……いや、闇が先なのか病みが先なのか?そうせざるを得なかったのだ。そして今、自分は虚無に完膚なきまでに打ちのめされながら、不可思議な清々しさを感じている。悲しみというものが、生まれる前から仕組まれたように自分の生命から離れようとしないならば、いっそ その波に身を委ねてしまえばいいのだ。そうすれば自分の体内を這い回る、ずっと違和感と共にあった、血、と、この手に負えぬほど自然に支配された、地、が一致する。初めから分かりきった事だった。しかし これまでの自分は ずっと それから目を逸らしてばかりいた。

 

その夜、予定していた曲目を全て演奏し終えたモヒカンはベースをトランジスタアンプに立て掛けると、抜け殻の様な表情で無言のまま、ステージを降り、その場から姿を消そうとした。

 

「おいっモヒカン、何処へ行くんや?」

 

メンバーの一人が怪訝な面持ちで声を掛けたが、まるで聞こえていないかの様に十数名の客の間をすり抜け出口のドアを押し開け、岬を後にした。薄暗いステージで置き去りにされたベースのみが ぼんやりとした照明に当てられ浮かび上がっていた。声を掛けた男が「アイツ、何かに取り憑かれとんな」と些か呆れた様な調子で呟いた。

 

それはモヒカンにとって冗談でも何でもなく、おそらく自分は生まれた その日から何か得体の知れないモノに憑かれていた。単に今までの自分には それが、見え難かった、というだけのことだった。一人、寂れた夜の田舎町に出たモヒカンは呆然と歩いた。車は自宅に置いたままにしてきた。家を出る際にエンジンが上手く掛からなかったからだ。街並みを抜け、朧げに駅のほうへ歩いていると、なだらかな坂道を登った向こうに夜の海が疎らなネオンを映し出し波打つのが見えた。ふと(綺麗だな)と思い、自分が生まれてこのかた初めて この海を見て、そんな感想を持ったことに気がついた。あの海は何だろう?女の様に見える。モトコか?いや違う、ピアスか?いや それも違う、あれは。

 

(あれは母だ)

 

と思った。駅に着いたが、自分が何処行きの切符を買えば良いのか分からなかった。

 

(出来るだけ遠くまでの切符を買おう)

 

無人のプラットホームに立った。そして電車がやってきた。やはり一つも怖くはなかった。潮の香る風が吹き、これが自然だと思った。

 

(やっと母に会える)

 

と思い、その後すぐモヒカンは線路に身を投げた。

 

線路とは定めだった。その上を走る電車とモヒカンの身体が接触した地点と瞬間こそが、まさにモヒカンが違和感を持ち続けた、この土地の自然と、彼の魂が一致する接点だった。

 

 

つづく。