この物語はフィクションです。

 

学校の最寄から駅にして五つほど先に、それなりに名の通った温泉地や海水浴場があり、夏場は都会からの観光客で賑わう。その恩恵に肖り、普段は閑散とした漁師町にも多少の活気が湧きもする。しかしシーズンなど ほんの一時の弾雨の様なものである。植樹されたリゾートムードを醸す椰子の木は年中、国道に並ぶものの、その演出が生きるのは まさに、ほんの一時期のみ、なのであり、それらは殆どの時間、いつも知った顔ばかりが通る道脇で、ただ空しく間抜けに風に晒され続けている。

 

九月になっていた。文化祭は あと一ヶ月と迫っている。

 

スライダースのカバー曲はもとより「青を知れば」も曲として纏まりはじめていた。後は如何に四人それぞれがこのオリジナル曲を皮膚感覚にまで浸透させていけるかである。ロックミュージックは曲に譜面のみで語り尽くせぬ何物かが備って初めて意味を為す。物置小屋の四人は何度も反復し音合わせする過程のうちに時々の閃きや偶然の産物から細部のアレンジを詰め込んでいくという作業に没頭している。しかしここに来て、その四人の関係性の中に元々 潜在していた綻びの様なものが浮き彫になりつつあった。先ず変化があったのはオリジナル曲の発案者であるヘラだ。これはアーティスティックな域に足を踏み入れようとする者の宿命なのだろうか?自身の脳内にあるイメージと現実との間にあるギャップに苛立つ様子が隠しきれない。演奏中、無神経に全員の音を止め、他メンバーのアレンジに物言いを入れたりすることが増えていた。こういったヘラの態度に最も反感を持ったのは、やはり当初から自作曲作りに乗り気でなかったモヒカンだ。この二人の意見対立は曲が完成形に向かう度合いに反比例して顕著になっている。その日もヘラは、モヒカンのギターフレーズに口出しをした。

 

「なぁモヒカン、お前がオリジナル曲に気が乗らんのは分かってるけど、これは皆んなで話し合うて決まった方向性や。ええ加減に本気でやってくれへんかな?」

 

「俺はバンドの方針に従って努力してるつもりやど。俺のアレンジが気に入らんのやったら、それは俺自身が気に入らんということや。これ以上のものは俺からは生まれん。そんなに俺の弾くフレーズに文句があるんやったら、自分でリード弾けよ」

 

モヒカンは滅多に感情を露わにする性格ではない。相当に鬱屈したものが ここ数ヶ月の彼の中に吹き溜まっているのが周囲に見てとれた。

 

「……そりゃモヒカンみたいなギターは俺には弾かれへんよ。分かってると思うけど、俺はお前のギターの技術に文句つけてるんやない、最近のお前からは、何というかこう、覇気が感じられへんのや」

 

「は?覇気?そんなもん元々持ってるかい。そんなハキハキした生徒会長みたいなギタリストが好みやねんやったら、俺は脱退でも何でもしたるから、今からメンバー募集広告でも打てや。……ほんなら こっちも言わしてもらうけどな、軽音部の音は、お前の将棋のコマやないんや、下手でも達者でも其々の意思を持っとる。そんなことも お前は分からんのか?そういうのを身の程知らずと言うんや、はっきり言うと、お前はアホや。何が『青を知れば』や?お前にお似合いなんは『アホを知れば』の方じゃ」

 

ここでリップが「モヒカンも言いすぎよ」と割って入った。暫く沈黙があり、その後、ヘラが少し声のトーンを落として言う。

 

「……分かった。お前の思うように弾けや、モヒカン。これからは俺もなるべくはお前の やり方に口出しはせんようにするから、脱退はするなよ」

 

モヒカンは答えず、仮にも そこは校内の部室だというのに、ポケットから煙草を取り出し それに火をつけた。

 

例えば、リップやメイクにとっても確かに近頃の部内でのヘラの独走ぶりには辟易するものがあった。しかし基本的にはオリジナル曲の創作に肯定的であり、作詞作曲者であるヘラが自分のイメージを、他の三人へ伝えようとするが故に やや態度が横柄になりがちなことに理解を示していた。寧ろ、周囲が気になるのはモヒカンの反抗的な姿勢の方だった。特に彼との内密な関係性を持つリップにはモヒカンという一人の男への肌身に詰まされる心情があった。ちょうど自分との関係が始まった一年前くらいからのモヒカンが、家庭環境に問題を抱えていることや、校外の如何わしい類の交友関係の深みに入りつつある事は知っていた。自分もジョニーという年上の恋人の影響で、そういったグループとの面識くらいはあるものの一定の距離は保っている。もしかするとモヒカンは その一線を引けていないのではないか?という心配だ。そんな事情もあり、リップは自分とモヒカンとの間にあった これまでの些か怠惰な関係に、終止符を打ちたい意思を彼に伝えていたのだ。それが今のモヒカンの苛立ちに加担している可能性はある。

 

軽音部のオリジナル曲創作に関し、先日もう一つ細やかな出来事もあった。

 

四人が物置小屋で音合わせをしている最中の或る日、珍しく顧問のマドギワがひょっこり部室に訪れるという事があった。これまでマドギワが軽音部四人の活動に関し、興味を持つ素振りを見せることは ほぼ皆無に近かったが、その日は何故か部室の扉付近のパイプ椅子に腰掛け、暫く演奏に耳を傾けていたのだ。不審に思った四人は一旦、演奏を止め、こういう場面では何時も仲介役を買って出るメイクがマドギワに聞いた。

 

「どうしたんですか、先生?今日は吹奏楽部の練習は休みなんですか?」

 

「いつも通りだが、ちょっと音楽室まで お前らの演奏が聞こえてきて、気になったんで観に来たんや」

 

「またボリュームが大きすぎましたか?それなら すみません、すぐに下げます」

 

「いや違うんや、音量は問題ない、そのままでええ、気にせず練習を続けてくれたらええ。先生が気になったんは 今、お前らが演ってた曲や、その青がどうの、とかいう曲や、あれは何ていうアーティストの曲のカバーや?」

 

「ああ、この曲は 誰かのカバーではなくて、私たちのオリジナル曲なんですよ、文化祭で披露できたらええなぁって今、練習してます、作詞作曲は うちのフロントマンなんですよ」

 

メイクが微笑みながら言うと、マドギワはヘラの方へと視線を移し、

 

「それはホンマか?ヘラ君が描いた曲か?」

 

と訊ねた。ヘラは不審な面持ちを崩さぬまま答える、

 

「はい、まぁ一応、僕が描いた曲ですけど、これ何か問題ありそうですか?そんなに過激な歌詞とかでもないと思うんですけど」

 

「いや、顧問的には何の問題もない。……というか本来、どんな音楽にも「問題」なんか存在するわけがない、ただ妙に ええ曲やな、と感じたから、観に来てみたんや」

 

すると普段は学校の教師などとは一切 会話などしたくないという性分のモヒカンが会話に割り込んだ、

 

「マドギワさんから観て、この曲の どういう部分が、どう良い、と感じるんですか?」

 

「未だよく聞き取れてないんやが、先ず歌詞が面白い。オーソドックスな線から逸れていなさそうで、ちょっと違うことを違う視点で捉えて表現してる、ほんで何より、それを彩る お前らの演奏に色気みたいなもんが出てる……」

 

語りながらマドギワは自分が生徒たちに対し立場を忘れ、饒舌になりすぎていると気がついた。気不味そうに苦笑いを浮かべ席を立つと「まぁ、頑張れよ」と言い残し部室を出ていった。これは今まで学校側に推奨されたことなど一度もなかった軽音部員にとって不似合いな、しかし少し心温まる一コマでもあった。

 

今、部室で臆面もなく煙草を吹かすモヒカンを嗜める者はいない。モヒカン自身にも今の自分が個人的な焦燥を周囲にぶつけているかも知れないという自覚が無いわけでは無い。しかし どうしようもなく、自分の身辺にある 全てのものが鬱陶しくてならないのだ。物置小屋の外では雨が降っていた。その湿度に いつもの生臭い匂いが勢いを増し、身体中に纏わりついて取り払えなくなってしまう様な気がした。帰り道でギターケースが この雨に濡れ、水に溺れ、いずれ折角 手入れしたギターのネックやペグといった部位を劣化させてしまうというイメージが頭から離れず巡り続けた。

 

 

つづく。