この物語はフィクションです。

 

 

軽音部は校内の他の部とは性質がまるで違っているものの正式な部ではある。顧問もいる。マドギワという名の、三十代半ば、音楽美術系教師にありがちな芸術家崩れといった風情の男性音楽教師だ。しかし これは殆ど形式上の顧問に過ぎず、部活動時間帯のマドギワは専ら兼任する吹奏楽部の指導を主にしていて、軽音部との関わりといえば、時折、練習中の音量が大き過ぎて近隣からクレームが出たりした際に、吹奏楽部の拠点である音楽室から、軽音部の部室である離れの物置小屋まで歩き、注意しにやってくる程度だった。マドギワ自身が軽音楽への理解があり、部員への過干渉を嫌う節があった。学校側から見れば或いは この顧問の方針は放任指導と捉えられかねないのかも知れぬが、逆に軽音部四人にとっては自由に恵まれた環境でもあった。

 

季節は文化祭まであと二ヶ月という夏だった。その日は珍しく、練習に身が入り、部活動終了原則時刻である二十時まで四人そろって物置小屋で精を出していた。帰り支度を済ませ、外に出ると、普段は野球部やサッカー部などが使用する運動場のナイターすら消灯され校内全体が真っ暗だった。軽音部四人のうち、ヘラのみが自宅が学校近くのため自転車通学で他の三人は同じ方角の電車通学である。

 

「ほな行くわな、お疲れ」

 

いつものように そう言って自転車に跨ったヘラの声が酷く枯れている。オリジナル曲の練習を始めてからの彼の熱量が窺える。モヒカンはそれを(やる気が空回りしている)と揶揄したくなったが口にせずにおいた。他の二人、リップやメイクもこの度のオリジナル曲作りの行先を やや楽しんでいる雰囲気があるからだ。(未だ乗り気になれないのは俺だけか?)軽く舌打ちをし、ヘラの背に目をやった。ギターケースを抱え、ヨロヨロと自転車を操りながら地元の漁師町へと消えていく。軽音部結成から二年半、ずっとこうして下校時、他三人でヘラを見送ってから駅へと歩く日常があった。ふとモヒカンは この自宅の方角の違いは軽音部四人の関係性に何らかの作用をもたらせてきたのではないか?と思った。四人の間には、どこか我ら三人と、もう一人のヘラ、という意識が存在する気がするのだ。田舎町の若者の比率としては珍しく、軽音部四人のうち、第一次産業従事者の家庭出身が漁師の息子であるヘラのみという背景も関係しているのかも知れない。

 

駅前に着くとロータリーに白い高級セダンが停まっていた。モヒカンはヒヤリとする。このケースは時々あった。車の主はリップの父親である。何かしら家の予定などがある際に こうして一人娘を駅まで迎えに来ることがある。世間から度々、不良少女と見做されがちなリップではあるが、実は比較的裕福な家庭育ちであり、その本質はお嬢である。当然、彼女と些か不純な関係を持つモヒカンには気不味さがあり、リップの父親とは目を合わせぬよう、軽く会釈のみをして逃げるように駅構内へ入ってしまう。軽音部唯一の優等生であるメイクは こんな時も卒なく友人の保護者への挨拶をこなした後、モヒカンを追いかけた。

 

先にプラットホームに着き、一人立っていたモヒカンの側に少し息を切らしながらメイクが追い付く。その表情に含み笑いの様なニュアンスがある。

 

「やっぱりモヒカン君でも、彼女のお父さんの事は怖いんやね」

 

「はは、俺とリップは彼氏とか彼女とか、そういうんやあらへんよ」

 

特に自分とリップの関係についてメイクに話した事はないが、リップが話したのか?それとも女子の勘なのか?彼女は仲間内にある事情を それとなく察知している。それでいて根掘り葉掘り詮索しようとするわけでもない。この辺りに軽音部の人間関係に作用する もう一輪の花の存在を知る。程なくして電車が着く。流石に この時間帯の車内に他の制服姿も無く、疎な乗客の視線が一瞬だけ、乗り込んできた二人に向けられた気がした。ドア側の席に並んで座ると一分ほど何も話さず、鈍行電車に揺られながら ぼんやりと向かい窓ガラスに映る自らの姿や、時々通り過ぎる民家の灯りなどに視線を遊ばせていた。先に口を開いたのはメイクだった。

 

「モヒカン君、ちょっと話しておきたいことあるんやけど」

 

「おう、何?」

 

「私、今度の文化祭終わったら軽音やめるわ」

 

「そうなんかぁ……やっぱり受験か?」

 

「うん、まぁ そうかなぁ」

 

「さすがやな。……いや老婆心から言うと、メイクみたいなインテリは早々と軽音なんかと縁切った方がええと思うで。俺かてメイクくらい頭良かったら、速攻で軽音なんか辞めるな……っていうか、文化祭まで付き合ってる場合やないんとちゃうのん?」

 

「文化祭までは大丈夫。それに私かて軽音のドラマーとして誇り持ってるんよ。最後の文化祭では学校の奴らに本物のロック見せたるわぁっていう気持ちで叩いてるよ」

 

「はは、言動が どっかのアホに似てきたな、そらヤバい、そらヤバい、あんまり変なアホから影響受け続けてると受験に差し障る。やっぱりメイクは軽音なんかはよ辞めた方がええ、ヘラは悲しむやろうけど、はよ辞めた方が身の為や」

 

「たぶん私が今すぐ辞めてもヘラ君は悲しまへんよ」

 

メイクは共通のユーモアを解する仲間である。しかし先に放たれた自分の言葉を受け彼女の表情に僅かな変化がある事をモヒカンは悟った。校内でも屈指の優等生であるメイクが、落ちこぼれ集団である軽音部に所属していることを不思議がる声がある。実際に彼女は部が立ち上げられた当初、特に軽音楽などというものに興味を持つ少女ですらなかったのだ。だというのに何故 彼女は あの物置小屋でドラムセットの前に座りリズムを刻み続けてきたのか?軽音部員として同じ釜の飯を食ってきたモヒカンやリップに限らず、少しはメイクと関わったことのある者なら皆、彼女の心内にある純情というものを感じ取っていた。気がつかぬのは その純情の向かう先の、あの男のみである。つくづく野暮な男だと思った。男同士の気安さから、彼と女云々の話をした事は何度もあった。そんな時もヘラは地元に複数の女がいるなどと冗談とも本気ともつかぬ ほら話に終始するばかりだった。おそらく童貞なんだろうと思った。

 

 

つづく。