紀南地方は朝から雨だった。バイク通学の次男が学校まで送ってくれと言うのでエブリィを出した。半ば思いつき、その足でソロ散歩に向かう。

古座川町、光泉寺の子授け銀杏。未だ少し時期が早いと分かっていたが、まぁ俺の求めるのは、必ずしも誰もが感嘆する様な景色ではないのだ。

おお、あれか?やはり未だ青い。

しかし近寄れば、それなりに落葉もあり、緑と黄が互いを暈しあいながら共存する情緒があった。紀南の大銀杏といえば中辺路の福定があり、あちらには過去に何度か足を運び記事にもしているのだが、此の銀杏とは初対面だ。

大きさのみなら福定が勝るのか?しかし木の持つ生々しさ、身姿のインパクトなら此方だろう。垂れ下がるコブが乳房の様なので子授け銀杏と呼ばれているらしい。確かに 此の大銀杏もまた、熊野に残された神々しい事物が何れも そうである様に、女性的である。しかし俺の目に このコブは乳房というより、もう少し爛れ、自ら液状化を望む何かに見える。どういうわけか?俺は、古座という土地を思う時、それを水と切り離してイメージすることが出来ない。例えば、滝の拝。七川ダム。一雨と書きイチブリと読む美しい地名の存在。風土病の原因か?とすら疑われた純度の高すぎる古座川。つい何ヶ月前かに俺がブログで連載した短編小説「恋山暮らし」も、描いている最中の脳内には常にこの川の流れがあった。それに、今日ここ古座へ来ようと思い立ったのも、朝から雨が降っていたからである。

光泉寺の近く、古座川町のシンボル一枚岩。写真では判別しずらいかも知れないが雨の日の一枚岩には「魔物の泪」と呼ばれる滝を見る事が出来る。一枚岩が泣くのを俺は見た。

 

古座という土地が水と切り離せない…と語りながら、それを言うなら どうしても付け加えておきたくなるのが、古座川河口付近の街並みの雰囲気である。わざわざ遠回りし、古座駅付近(西向という地域になるのか?)を素通りし帰路に着く。

 

 

昼食は串本町橋杭「干物のおざき」にて、ひらき定食。900円。