悲しみほどに詩的なものはないよな。何故だか俺の周りには そんな人や出来事が多いよ。悲しいまま 自ら語る事すら止めてしまった人、悲しいまま それに目を背けながら生きようとする人、悲しいまま自分が悲しいという事を知らぬ人、悲しいまま最後まで抵抗する人、悲しいまま怖れ続ける人、悲しいまま それに酔う人……など。俺は どれだろう?一番最後と その前のやつが近いかな。悲しみは時に甘さを伴うけれど、ちょっと過酷すぎるな。

 

俺は誰かの悲しみを知っているし、憶えている。この季節になると それらが身に染みてくる。だけど もう 敢えて見つめようとしなくても良いんじゃないかと思う 今日この頃。悲しみは酔えるくらいがちょうどいい、それ以上のものは悲しみですらなくなってしまう。忘れてしまうのではなく、ふとした日常会話の中に漂わせるくらいのニュアンスで そこに置物みたいに できたら。