扶餘の宮南池の蓮の花を見たあと、近くの百済文化団地へ行って来ました。
宮南池からは車で15分ぐらいの距離にあります。
途中、百済金銅大香炉のオブジェがあったりして期待感をそそられました。
この百済金銅大香炉のオブジェは扶蘇山入り口の前を東に向かって少し行った所にあります。
白馬江橋の少し手前です。この白馬江橋を渡ればすぐそこに百済文化団地があります。
韓国の良いところは、このように歴史的な建築物が多く残っていたり、また復元したりして「その気」にさせてくれるところですね。
また別の記事で書きますが、慶州の高速道路の料金所なども、いかにも「慶州に来たなあ~」と思わせる雰囲気を持ってますしね。
百済文化団地の駐車場に到着しました。
この百済歴史文化会館の前にある入場券売り場で入場券を購入します。
一般の大人はW9,000-です。
この百済歴史文化会館の中で写した写真を何点か掲載します。
関係のある方・興味のある方が見れば、「日本のと全く同じじゃないか!?」と思われることでしょう。
如何でしょうか?上から「かんな」、「のみ」、「左官道具」です。
今現在も日本で使っているこれらの道具は百済時代のものと全く同じです。
何百年も進化しているのに、その当時のまま残って今もなお使われているって素晴らしいことではないでしょうか?
いかに百済と日本との関係が密接であったが判ります。
日本の京都、廣隆寺に収められている木造彌勒菩薩半跏思惟像です。
この木造の説明文(韓国語です)には、素材は赤松で作られており、日本に実在する仏像は赤松のものがないことから、韓国から渡った、と記載されています。
が、Wikipediaによると、「内刳りの背板はアカマツ材でなく、クスノキに似た広葉樹が使用されていることが判明した。この背板は後補ではなく、造像当初のものとみられる。この点に加え、アカマツが日本でも自生することから本像は日本で制作されたとする説がある。」と。
まあ、ウリナラが中国4000年の歴史よりも古く5000年だ!なんて言ってるくらいですから、信憑性は非常に低いとは思うのですがね…
この百済歴史文化会館の中には百済時代の泗沘宮や陵寺の模型が展示されています。
実際に復元された泗沘宮や陵寺などを見るために百済歴史文化会館を後にしました。
これが正陽門で入り口になっています。
この正陽門を入るとすぐに天政門と陵寺が目に入ります。
天政門を抜けると天正殿が待ち受けており、王座を見ることが出来ます。
王座です。
大雄殿には仏像が納められています。
ここには泗沘時代の代表的な墓制である石室墳や百済文化団地や扶餘群恩山地域で出土された古墳7基が移転・復元されています。
泗沘宮の横には生活と文化の村、慰礼城が復元されています。
少し小高い丘には済香楼があります。
この済香楼からは百済文化団地を見渡せることができますし、この団地を造成したオーナーでもあるロッテリゾートが見えます。
この百済文化団地は事業費として6,904億ウォンが投入されており、そのうちの国費は1,709億ウォン、地方費(忠清南道扶餘郡)が2,078億ウォン、民間資本が3,117億ウォンとなっています。
総事業費の約半分はロッテが出資しているのですね。すごいことです。
でも、この扶餘の地にこんなに投資して採算が取れるかなあ?
ちょっと疑問です。
百済文化団地で歴史や文化を学んだ後は、新羅時代の歴史を勉強(?)すべく、慶州に行きました。
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