才能も色々ある。
足が早い、頭の回転がいい、社交に長けているなど。
これが、例えば実質は才能かもしれないが生かしどころが難しいものだった場合はどうなるのか。

窃盗の才能や殺人の才能は極端かもしれないが、そういった社会的に害となる才能や到底周囲から認められようもない才能、使い処が一生のうちに一度あるかないかといった才能、単体ではどうにもならない才能は世間的には形としては“ない”ものにされがちで、それだけで生きづらい。

その次に生きづらいのは、毒にならないけれども薬にもならない才能である。
例えば鼻をほじる才能があっても、いいことはないし誉められることもない。本人は常に鼻血と隣り合わせの生活になるし、人に見せられるものでもないため、総合的にはデメリットの多い才能である。

一生に一度あるかないかの才能は自殺の才能だろうか。
自殺の才能がなければ何度も失敗し、生き延びてしまうが、才能があると初めてでも失敗しない。だが死んだらそこまでになるため、まさに一生に一度しか発揮できない才能である。
これしか才能がない場合は最悪だ。

さらに、外科医の才能に恵まれても五教科の才能がなく医学部にもいけないなどといった場合、医療系の他の道に行く頭があればいいが、それも難しいのなら無免許医かシリアルキラーの道しか用意されていない。横道として料理人に行ければ良いが、それも難しいなら悲惨だ。

何が言いたいかと言うと、プラスに作用する才能は何もない私に唯一あるかもしれない才能は愚痴を言う才能であるが、先に挙げた中に含まれるような所謂ないものに分類される才能であり、何の役にもたたない疎まれるだけの才能ということだ。しかも、それで世界を狙えるでもないし、世界に自分だけという稀少性も独占性もない。金にもならない。

実際私はどう育ったかといえば、そのような性質上誉められないどころか疎まれ、環境にも恵まれず、ひねくれてすれて卑屈に育っただけである。

もし殺人や窃盗などの才能を持つ人がいたらもっと大変だろう。もっとも、発揮できなくても気にしない人ならいいのだろうが、才能を発揮できずに苦しむ人と才能を発揮し更に気にしない人であると周囲の人間は大変だろうと思う。
遺伝子の多様性でどこまで済ませられるか、彼らがそれ以外の道で尊厳をもって、最低限より少し上の質で生活できる職につけるか、性善説でむやみに犯罪者を檻から出す前に、犯罪の結果のみを考えて安易に極刑に出る前に考えないと。

特に尊厳を持ってというところは重要。元々の才能がない世界にしかいられないのは明白なのだから、どの業界に行こうとも平均以下の能力しか出せないのであれば自信にならない、つまり尊厳も得難いわけで、さらに収入も低い可能性が高い。
刑務所のリピート率は高いときいた。個別には載せないが、やはり社会で生きづらいから戻ってくると考える方が自然だ。もちろん、犯罪者の自業自得の部分はあり、そこを理由に冷遇されることもあるかもしれないが、尊厳を持って生きられないからと、生きる意味と場所を求め孤軍奮闘した結果が犯罪だったりもする可能性を考えたら、遺伝子検査による才能の発掘と早期のフォロー、具体的には才能に対する適所的教育と就業の支援は必須だ。
よき才能を持っていても発揮できない環境で育ち腐らせる人もいるだろうから。


このシステムで多くの犯罪者予備軍は救われるだろうが、一番厄介なのは、住みたい世界と馴染まない才能しかない場合、住みたくない世界にしか馴染む才能がない場合、適所では最低限以上の収入や生活の質を得られない場合かもしれない。そういう人は今の社会のシステムでも生きづらいはずだが、どうやって過ごされているのか、尊厳や精神的な居場所はどの程度あるのか聞いてみたい。

この才能とは言い難いものを持っていると友人も知人も少ないので、実生活では耳にすることもないのだが。