青年が歴史として結実し得る社会的参与を許されなくなってからどれほど久しいことであろうか | Korculaのブログ

青年が歴史として結実し得る社会的参与を許されなくなってからどれほど久しいことであろうか

天気がよい。雲少しある快晴。さそわれていたので昨日の夜に山へいけば良かったかな。午後からサイクリングでもしよう。買ったギターをずっと弾いていたので指が痛くなった。「今日、我々青年はこの存在の姿を歴史の鏡の中に映して見出すことは出来なくなった。青年が歴史として結実し得る社会的参与を許されなくなってからどれほど久しいことであろうか」(孤独する載冠)。同じ著者はこうも語っている。「かれらが性を真実自身のものとしてとり戻すためには、まず体を張って、せめても人を、世間を、社会を騒がすことからすべきだろう。若者の放埒で迷惑すらかけずに、ただラリっているなど恥知らずともいうべきである」(愛この自由なるもの)。著者は今週、羽田の視察をしていた方。これをいま引用してはあらぬ誤解をまねくだろうが、日常的に人を騒がすことを為していれば、衝動的な無差別加害への予防にはなるだろう。(071380-1)