ようつべカスタマイザ
みなさま、こんばんは。暗っ!!!というスタートでごめんなさいm(_ _ )m

くまとも歴史探訪、本日は上野に来ております(^-^)/。
※本日、グログロしい箇所がありますので、苦手な方は、さらっと飛ばしていただけたらと思います(><)。
くまとも歴史探訪、ようやく時代考証の先生方が、皆様おそろいでらっしゃるかと思いますので、
本日も、ご指導ご鞭撻のほど、何卒何卒よろしくお願いいたしますm(_ _ )m

なぜか黄色いスカートが増殖している上野広小路を、蓮池に向かって歩んでいくと…

は~い!西 郷 さ んがお出迎え…
西郷夫人が、除幕式の際、「これは主人ではない…」とつぶやいたという、
じゃあ、この人、誰(´・ω・`)?という、かわいそうな像ですが、
意気揚々と元気そうなので、まあ、良いのでしょうか…ヽ(゚◇゚ )ノ

西郷さんの斜め後ろにありますのが、彰義隊のお墓です。
新政府から“埋葬ならず”ということで、放置されていた彰義隊のご遺体(105名という説)を
見かねた円通寺のご住職がここに集めて、火葬したのだそうです。
みなさん、成仏なさったのでしょう……風がよく通る、良い気を感じます(´∀`)。
上野戦争。激戦となったのが、黒門のあった、ちょうどこの辺りと言われています。
黒門は、先ほど登場した、ご住職とのご縁で、今は円通寺に移設してあるとのことで、
上野から、地下鉄で2駅…
見たらオエ~ッ。(´д`lll) っとなりそうで、行くか行かないか迷ったのですが、
この機会に、ちょっと足を伸ばしてきました。
円通寺、いきなり黒門がそびえます。

黒いので、写真ではよく見えませんが、ボッコボコで、やっぱりズシッと胃のあたりが重くなります。

銃弾に当たるとわかっていて、中には、銃弾に当たっているのに、前に前に出ていくって、
お侍さんは、ふつうの人が持ってる“リミッター”をOFFにできる人たちだったのか…

それとも、戦争という異常事態がそうさせるのか…
その両方かもしれませんね。

分厚い黒い柱にも、貫通した銃弾の痕がいくつも残っていました。

穴はすべて、下から上に、斜めに貫通しています。
思い返せば、それもそのはず…
上野は「上野のお山」と言われるだけあって、黒門があったという場所にたどりつくためには…

こんな坂やあんな坂を、ぜえぜえ上って行かなくてはいけませんヽ(;´ω`)ノ
銃口も必然、下から上へ…銃弾痕も、下から上になるわけですね…
頭の中がコンピューターの西軍・軍師・大村益次郎さんの彰義隊殲滅計画案に
西郷さんが「薩摩兵を殺す気でごわすか(;°皿°)!」と珍しく語気を荒げたというお話がありますが、
雪合戦でも、下から上を攻めるのは至難の業…
どうやったって、坂下に陣取る羽目になれば、坂上の人たちから狙い撃ちされますヽ(;´Д`)ノ。
でも、もう、この頃は、弓矢の“戦”じゃなくて(ましてや雪合戦じゃなく)、銃器の戦争になっていて、
ここから徒歩30~40分の距離にある、旧加賀藩邸(現在の東大)からの砲撃で、上野は丸焼けにされました。
ちなみに、この、殲滅作戦の遂行には40~50万両かかったそうな…。
江戸末期の1両が今の8万円と計算すると…誰かwwww電卓貸してwww!!!
そんな、べらぼうな爆撃の中で、奇跡的に焼けなかったのが、清水観音堂だそうです。


さて、上野から円通寺、黒門に戻りまして…

なんだか、十字架みたい…
ほぼ実寸大の銃弾痕です。無駄に大きい気がしません?
↓↓↓

北見の伯父の熊用のライフルでも、こんなに大きくなかった気がする…
痛いよなぁ…これは苦しいよなぁ…
凹みますね…さ、みなさま、帰りましょう(_ _。)。
ここには彰義隊士のお墓の他に、榎本武揚さんや大鳥圭介さん、永井尚志さんや荒井郁之助さんという、函館戦争を戦った人たちの追弔碑が数々立っていました。


あれ、わたしの中のラストサムライ中島三郎助親子がいない…(。>0<。)

言葉にするとチープで、なんとも言えないのですが、
帰ってこない人を思う家族の気持ちなんかも胸に迫ってきて、
バカーッと言いたいところ、お侍さんの生き様特有の、奇妙なすがすがしさもあって
むなしいような悲しいような、なんだかわけもわからず、
「がんばって生きていきます!」という気になりました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:←おバカ。
本日もお付合いいただきまして、
本当にありがとうございました!!!
ご気分の悪くなった方がいらっしゃいましたら、本当にごめんなさい。以後、謹みます。