韓国への強制送還に抵抗して朝鮮人が暴動
在日朝鮮人達が彼らの捏造した歴史通り、本当に強制連行されたのなら(もちろん朝鮮人特有の嘘なのでそんな史実はないし、実際には大量の密入国と戦時中の本人の意思による来日がほとんど)、普通は家族や友人に再会するために喜んで帰国するはずなのだが、実際には、戦後、日本がこれらの朝鮮人を韓国へ強制送還しようとした際、朝鮮半島に帰りたがらない朝鮮人達が暴動を起こしている。
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html
・下里村役場事件(1951年10月22日)
兵庫県加西郡下里村(現在の兵庫県加西市)において、朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために下里村役場に押しかけ、村役場職員を吊るし上げ、椅子を振り上げる等の暴挙に出たので、暴行脅迫・恐喝容疑で15名を検挙した。
・日野事件(1951年12月18日)
朝鮮人約50名が、自転車隊を編成し、白襷をかけ、「強制送還反対」のプラカードを掲げ、メガホンやスピーカーを所持し、強制送還反対を叫びつつ滋賀県内を無届デモ行進をした。警察は公安条例違反として再三中止を警告したが応じなかったので、滋賀県蒲生郡日野町において実力行使に出たが、石や薪などを持って抵抗したり、拳銃を奪い取るなどして反抗した。これにより、警察側に25名の重軽傷者を出したので、拳銃を発砲してこれを鎮圧した。35名が検挙された。
・大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
1952年5月12日、韓国に強制送還された朝鮮人のうち、125名が手続不備で逆送還されて、大村収容所に再収容された。これに対し、民戦から数回にわたって抗議した後、5月25日になって50名が抗議に押しかけ、代表が当局と会談中、外部の者は盛んに収容者に対し、 逃走をけしかけた。そこで約100名は混乱に乗じて逃走を企図し、12名が逮捕されてようやくおさまった。その後、11月9日~12日にわたって、また民戦活動家数十名が押しかけ代表が当局と交渉中、 654名の収容者が一斉に脱出を企図したので、催涙弾と消防車でこれを阻止し、首謀者12名を検挙した。
勝手に入国したあげく、送還しようとしても暴動を起こし、莫大な生活保護はふんだくる、気に入らないと集団で示威行為や脅迫、暴力等を日常的に行う朝鮮人達。数々の破格の特権だけでは満足できず、戦後にパチンコ等で築き上げた経済力、組織力を背景に、完全な日本社会の支配を目論む。いつの間にか教育、マスコミ、やくざ、右翼も掌握し、戦後60年経っても自浄作用すら全くない。それどころか、人権擁護法案のように高まってきた自分達への批判を封じ込めるための悪法の可決に執念を燃やしている。こんな強盗犯罪者のような人間達相手に日本人が引け目を感じる必要が果たしてあるのだろうか?これだけ一方的にやリたい放題やられたのだから、日本人はそろそろ本気で目を覚まさなければならない時期に差し掛かっているのではないだろうか?
この調子でもっとふんだくるニダ!