人間は元々、「楽」を求めて全ての知識を尽くしてきた。歴代物理学者、心理学者等々は懸命に研究し、勉強して、そして、その結果、結論に伴う開発企業が誕生し、「楽」を多くの人類に届けることが可能になりました。これが文明の発展とされてきました。

 

しかし、その文明の発展の動機は、元々「苦」があったが為、其れから解放するために工夫された「技」に過ぎないものです。要するに、その「苦」が感じられていなかったら、恐らく、改善する必要性も生まれなかったでしょう。 ここで、極端な議論が発生します。先ず、現代でも多くの国に存在します先住民の社会、そして、近代化したとされる多くの社会です。 例えば、近代化社会が日常生活に最も必要としている「お金」を先住民社会に持ち込んでも、彼ら社会内では何も必要とされません。先住民社会では「お金」が無くても、全く「苦」は感じていないからです。 一方、逆に近代化社会人が先住民社会で暮そうとしたら、様々な「苦」を感じることになります。

 

では、近代化社会で、「楽」を求めて開発された諸々な設備、機械等々は、一定の「楽」は獲得したものの、それを維持するために新たな開発、そして、それに伴う研究、勉強が絶対必要とされる。大半の人は、その為に、そして、それを維持するために、日常生活で「苦」を重ねている。又、一番危険なのは、その「楽」を求めるが為、「欲」を膨らませ、そして、それが、結局、実際には「苦」を迎えていることになっています

 

次回につづく。。。