私は幼い頃、電気、水道、自動車、ラジオ、電話等もない自然状態の農家で、当時、何不自由なく、小学時代まで楽しく暮らしました。片道6㎞も離れた町へ毎日歩いて通学しても、それが辛いとは思いませんでした。中学時代、父が古い自動車を買い、時々、町に買い物に出かける際、帰りは、父の車に乗って帰るようになり、それ以来、歩いて帰ることが辛く感じるようになりました。高校時代では、都会に出され、電気、水道、電話、テレビ等の依存社会で暮すようになりました。そして、大型連休の際、必ず故郷農家で過ごしていました。この先は、語らずとも、読者の皆様はもうお分かりでしょう。 要するに、インフラ設備が整った社会を味い、又、それに頼る暮らしを得ての損徳感覚はどうでしょう。

 

最近、電化製品も含む、通話機製品が技術進化により、一段と優れたものが開発されています。2~3年前には考えられない機能が生み出され、消費者たちはそれを狙いに、発売ごとに買い替えている状態。そして、正にその新しい機能に”はまって、とりこ”になっているようです。私は、逆にそんな機能なんと興味もなく、携帯電話は最低の電話とメールの送受信が出来る設定しかしていません。パソコンでも、ネットで調べる、又は、この様なソシアルネットワークを最低の機能で使えることしか知りません。要するに、コンピューター世界の機能に対して、私は全く未熟であり、知識を上向する興味もあまり持っていません。とは言っても、私の人生では、其れで十分であり、何不自由も感じていません。 一方、電化製品も、機能が増えればそれなりの付加価値で値段も上昇されているようだが、果たして、全ての機能を日常生活で利用する消費者はどれだけいるだろうか。私は、逆に、機能が増えれば増える程、故障率も高まっているような気がしているのですが。。。

 

次回に続く。。。。