「なせばなる、なさねばならぬ、何事も。ならぬものは人のなさぬなりけり」。これは上杉鷹山氏の名言です。只、「ならぬもの」を単なる「なし」と判断、要するに、無視するのは意味がない。 例えば、科学学者や算数学者は「ゼロ=無」と確実に証明したものは居ないのです。無限に近い数字は表す事は出来ましたが、「完全ゼロ」にまでは至らなかったのです。従って、「ならぬもの」を有りのままの状態自体で「なっている」と、私自身は解釈している次第です。

 

私が若い頃、有る大手会社経営者の勉強会に参加した時に聞いた事です。「決算はマイナスかプラスかは、何処を「ゼロ点」と位置づけるかで異なる」と言われたことです。簡単に説明しますと、例えば借金をプラス、又はマイナスと意識するかで、経営者の効力が異なるとのことです。

 

私は、如何なる物事も、「作用反作用の掟」、そして「偶然ではない」と認識しています。そして、自分を巻き込む如何なる出来事に対しても、先ず、受動の立場ではなく、活動の立場で物事を判断するようにしています。特に、自分の人生に対してです。例えば、「ならぬもの」を「なさぬもの」とするのではなく、「私がなした」と、即ち、「私の何らかの作用の反作用だ」と考えることにしています。そのように意識することで、普段の「マイナス」を「プラス」に置きかえることが出いるようになっています。

 

この観点を前提として意識することで、一番得するのは、自分自身だと思います。その一つとしては、自分の人生で、誰を恨むでもなく、誰のせいにするでもなく、私の人生の船頭は他ならぬ私自身であったことを意識するようになりました。そして、一番のメリットは、如何なる人でも、「許す心」で居られることです。