それでも、「過去が原因で今の自分がある」と信じる人が多いだろう。例えば、子どもの頃、姉から「大人になったら何になりたい?」と聞かれた時、確かに私は「精神医師になりたい」と答えた記憶がある。私が現在、精神医師ではないのは過去にそれなりの勉強、そして、精神医師の資格を取っていないのが原因だと思える。その観点からは、確かに私の現在は過去が原因だと言える。果たしてそうだろうか。

 

いいえ、それは違います。 問題は原因と結果の理解が間違っています。過去全てがその都度私が選択した「目的」の結果であり、即ち、過去全てが結果です。つまり、私が前回述べました「原因/結果以前に目的がある」とのことです。要するに、私がその都度選択した目的が全ての過去を描き立て、それが今の自分に反映しているに過ぎないのです。 私たちは習慣的に、その都度の目的が生み出した結果を原因としているだけのことです。即ち、私は過去に精神医師になることを目的として選択をしなかっただけのことです。そして、選択しなかった理由として、自分を囲んでいた状況や環境で自分自身の行動を正当化し、誤魔化してきただけのことです。 自分は当時、精神医師の目的を選択する「勇気不足」に過ぎなかったのです。

 

私は、「過去を変えることが出来る」とも以前語りました。では、何故、自分の過去を変えて、精神医師にならないのかと問い掛けるだろう。先ず、上記に説明しましたように、唯物論的の過去の状態ではなく、神理論的、即ち、実在的に、この歳になって変えることが出来ました。一方、では精神医師に今なれるのかに対しては、確かに普段の人より何倍もの努力、そして、その目的を何倍の決断力を持って行動したら、其れも可能です。世界では、年齢に関係なく目的を実現した事例は数えきれない程あります。只、現在では私は精神医師を目的として行動する意欲はありませんし、過去も、恐らく強い意思決定は無かったが為、目的変更をしたと確信しています。