過去が現象的に固定化されているのは、それなりの意味がある。それは、自分の過去を記録して、何時でも、有りのまま振り変えることが出来るように仕組まれているのです。以前、私が語ったように、過去は物理的には変えることは出来ないが、意識的には、何時でも変えることが出来る。又、それが出来るように記録されているとも言える。そして、必要の際、キーワードをインプットしたら、記憶のファイルの中から蘇させる事が出来るように仕組まれているのです。それも、現世での過去だけでなく、過去世、つまり、長い転生輪廻の経験まで記録され、蘇らせる事も出来ると、高級指導霊たちは説いている。

 

一方、この世では何も偶然に起きるものはない事実と、神様は何も無駄なものは作られていない事実を、過去の出来事と重ねることで、如何なる過去の出来事も、今の自分に活かす事が出来るのです。今までの過去で、自分は何を学んだのか、又、どんなメッセージを読み取る事が出来たかで、今の自分を変えることが出来るのです。例えば、失敗ばかりした自分の過去を、単なる失敗と認める事で、自分の過去を無駄にし、自分自身をマイナスに追い込むのです。

 

私は、過去に何度も失敗しました。しかし、その都度、新たな職業に挑戦し、その繰り返しで、世間からも、妻からは頑固だとも言われて来ました。しかし、その経験があってこそ、40代の年齢で、全く新しい世界(日本)で、身柄一つで挑戦し、日本語の勉強もした事のない常態で、日本で、日本人同様に働く事が出来ています。そんな中でも、9年後にリストラされ、又、全く経験のない新しい職に挑み、今の自分があるのです。そして、家族全員(9人)が、現在、同供している状態です。その一方、私自身は、不動で冷静な心、そして、物質的物にはあまり執着のない自分、そして、完全とは言えませんが、安らいだ心の自分が居るのです。しかし、ここまでは、自分の人生の僅か一部しか悟る事が出来ていないが為、この様な論文を書いているのです。