【太川】メディア・コントロール ?正義なき民主主義と国際社会- | 飯田橋勉強会

【太川】メディア・コントロール ?正義なき民主主義と国際社会-

「メディア・コントロール –正義なき民主主義と国際社会-」 [2003.04]

Noam Chomsky著 鈴木主税 訳 (集英社新書)

内容

 民主主義社会にはふたつの「機能」がある。責任を持つ特別階級は、実行者としての昨日を果たす。公益ということを理解し、じっくり考えて計画するのだ。その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。民主主義社会における彼らの役割は、「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけに限るわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに指示を表明することを許される。これを選挙という。

 ケネディ政権の政策に大きな影響を及ぼしたニーバーによれば、理性は極めて限定された技能だという。これをもっている人間はごく少数であり、大半の人間は感情と衝動に突き動かされて行動している。理性をもった人間は「必要な幻想」をつくりだし、人の感情に訴える「過度の単純化」を提供して、純真な愚か者達を逸脱させないようにしなければならない。これが現代政治学の主流となった。

 全員が共生できるように、私たちはスト参加者のような破壊分子の活動を止める必要がある。企業の幹部も清掃人も、みな同じ利益を共有している。私たちは調和を保ち、ともに愛しながら、ともにアメリカニズムのために働けるはずだ。これはのちに「モホークヴァレーの公式」と呼ばれ、ストライキを鎮圧の科学的手法として、繰り返し適用され、世論を動かしてアメリカニズムのような実体の定かではない空疎な概念を指示させ、大いに効力を発揮した。誰がアメリカニズムに反対できるだろ?誰が調和に反対できるだろう?実体のないものには反対しようがないのである。必要なのは、誰も反対しようとしないスローガン、誰もが賛成するスローガンなのだ。それが何を意味しているのか、誰も知らない。

 国民を鼓舞して海外への進出を支持させることも必要、場合によっては歴史を完全に捏造することも必要になる。さまざまな社会問題の中では、とまどえる群れの注意を、何とかして別のところへそらす必要がある。ここはひとつ、敵に対する恐怖心をかきたてる必要がある。アメリカは次々に敵をつくりあげ、国内不満を外に向けてきた。ベトナム戦争、中米問題、南ア、アフガン、湾岸戦争、そして、対テロ戦争・・・。サダム・フセインは世界征服をもくろむ怪物だと、多くのアメリカ人が本気でそう信じている。この考えは、繰り返し人々の頭に刷り込まれてきた。産業基盤も持たない第三世界の小国を、世界征服を目論む悪の国家にしたてあげたのだった。

 問題は単に偽情報や湾岸危機にあるのではない。問題はそれよりもずっと奥が深い。私たちは自由な社会に住みたいのだろうか、それとも自ら好んで背負ったも同然の全体主義社会に住みたいのだろうか。とまどえる群れが社会のうごきから取り残され、望まぬ方向に導かれ、恐怖をかきたてられ、愛国的なスローガンを叫び、生命を脅かされ、自分たちを破滅から救ってくれる指導者を畏怖する一方で、知識階級がおとなしく命令に従い、求められるままスローガンを繰り返すだけの、内側から腐っていくような社会に住みたいのだろうか。

感想・議論したいこと

●「知の巨人」チョムスキーを読んだ後に残る、この感覚は??(まだ捉えきれていない・・・)

●蔓延している、実体のないものへの崇拝(ナショナリズム・ボランティア精神)からは、抜け出せ

 ない??