【小森】日経新聞の黒い霧 | 飯田橋勉強会

【小森】日経新聞の黒い霧

大塚将司『日経新聞の黒い霧』講談社、2005

大塚 将司・・・1950年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。1975年日経新聞入社。証券部、経済部で証券業界、銀行、大蔵省、通産省などを担当。「三菱銀行と東京銀行の合併」で1995年度新聞協会賞受賞。鶴田社長(当時)の疑惑を追及したことなどにより2003年日経新聞社を懲戒解雇されたが、法廷闘争の末200412月に復職。日本経済研究センター研究員。

<黒い霧>

①イトマン事件にからむ1000万円疑惑。

・住友銀行巽頭取が二度にわたって本社を訪れ、編集局幹部に、住友銀行はイトマンの経営に責任を持つので無用な混乱を招くような記事掲載は避けてほしい」と要請。記事への圧力。

・イトマン事件の被告から、日経社内の協力者に情報収集(イトマンに関する記事を誰が書いているのかとニュースソースがどこか)の謝礼として1000万円が支払われた。

→社の調査委員会は「犯人は社内にいない」、被告は「社内協力者」の名前を明らかにせず、検察も公判に無関係もあり、特定しようとしなかった。関心は薄れ、灰色決着。関係者への事情聴取は弁護士など社外の第三者に依頼するべきだった。

②「日経社員によるコスモへの高利預金疑惑

・95年夏に経営破綻したコスモ信用組合の理事長と鶴田氏が親しく、信金に高利預金の疑惑。それが広告と関連している疑惑。高金利預金について預金者リストなどを取材していた記者が、希望もしておらず語学もできないのにドイツのフランクフルト特派員に。

③ティー・シー・ワークス(TCW)事件

日経新聞の子会社で、内装工事を手がけるTCWの不正経理・手形濫発事件。日経本社は同社に対し742000万円の融資をしていた他、20億円の債務保証をしていた。「TCワークス」の社長ら3人は特別背任で逮捕。経営陣は社員に対してすらどんな事件か原因を分析して公表する気がない。

④クラブ「ひら川」問題・・・鶴田卓彦日経社長が、赤坂のクラブ「ひら川」に年間3000万円社費を使いこみ、10年で3億も貢いでいる。愛人・隠し子疑惑。

<その他の“病巣”>

・与党三党の緊急経済対策を批判した社説が鶴田社長の逆鱗に触れ、書いた論説委員は産業消費研究所の主席研究員に飛ばされた。対策のアイデアは亀井静香政調会長が鶴田社長に依頼したもの。

・論説委員が、神戸市が神戸港の設置を運輸省に申請したことに疑問を呈し、神戸港の機能強化に取り組むほうがいいと社説で主張。神戸空港推進リーダーの商工会議所会頭(社長の囲碁仲間)と、神戸市長が社長に抗議の手紙。鶴田社長の逆鱗に触れ、大阪本社代表を謝罪に行かせ、西村氏を更迭。

・自社セミナー「アジアの未来」が夕刊一面トップ。毎年開催する会議の主催自体も浪費。

・紙面審査(朝刊をよく読んで他の新聞と比較して部長会で論評)は事前了承が必要な馴れ合いの場。

・間違いを訂正したり検証記事を載せたりしない傲慢さ。

・「失われた10年」への自分たちの責任を棚上げた記事。社説のいいか全さ、矛盾だらけの言論。動機は不純。上司に取り入りたい、変人扱いされたくない等。

・「日経のように人事評価を合議制でやっていない会社なんてありませんよ」。評価基準は主観。上司が記者をつぶすには、「あいつはだめだ」と言い続ける。無能でも「できる」といい続ければ高い評価。

・新聞社は嫉妬社会。協調性がない・生意気・傲慢・バランス感覚がないなど、悪い評判がいくらでも立てられる。事実でなくても放置しておくと評価が定着。人並みの記者能力があっても「遅い」「のろい」の評判は新聞社組織では致命的。名文家、特ダネ記者を追い落とし、理念、理想しっかり持っている記者も嫌われる。平々凡々の要領のいい記者たちが牛耳る社会が完成。外には大きくほえる。中では従順。

<決起>

・①②の二つの黒い霧は忘却のかなた。うやむやに放置し、解明にとりくんでいればと悔恨。50歳以降の人生をどうするか思案し続け、口を閉ざし見てみぬふりを決め込もうとも思ったが、サラリーマン記者と決別して、遅まきながらジャーナリストとしてたとうと決断。腐敗・不祥事隠蔽の調査と追及。怪文書が社内に飛び回るなか、放蕩経営、会社と紙面の私物化が10年にわたって続いた日経新聞社を言論報道機関として再生させるため、2002年秋、鶴田卓彦社長追放の旗を掲げる。

・「社長解任」請求を株主総会へ提案。社長に「名誉を傷つけられた」として名誉毀損で告訴され、懲戒解雇された。解雇された大塚氏は株主代表訴訟で応じたことから、同社は内紛状態に陥り、社長は事実上の引責辞任に追い込まれた。 現役社員の支持はあまり得られなかったが懲戒解雇で世論の支持が集まり、日経OBの支援拡大につながり、追放の追い風になった。

・日経側と大塚氏側は東京地裁の和解勧告に応じ、元部長の懲戒解雇処分を撤回、コンプライアンス(法令順守)向上のために、学識経験者などの第三者で構成する社長の助言機関を設置、その運営費用として10人の元・現役員が計2000万円、同社が1000万円を拠出する和解が20041220日に成立。復職。

・経営正常化はいまだ道半ば。突破口。影響力がなくなったとはいえない。日経改革はマスコミ改革。

<語録>

新聞の使命は、読者の知る権利を満たすことであり、原則として報道は自粛すべきでない。金融機関を特別扱いせず、企業倒産と同じ視点で取材し、報道するという姿勢で望むべきだった。仮に自主規制していなければ疑惑にもっと迫れた。

期待されているのは経済的な破綻を惹起することではなく、国民を経済的に豊かにする方向で言論を展開することであるはずだ。仮にその時点で少数派であってもその主張の正しさは歴史が証明してくれるはずだ。自分の頭で考え、自分の責任で行動する。官僚の代弁者になっていけないが、経営者の代弁者になってもいけない。

ジャーナリズムは、自分の座標軸を持ち、その視点から考えるのが基本だ。何から何まで批判すればいいという安易なものではない。企業の経営戦略や政府の政策にしても正しいと思えばそれを堂々と主張すればよい。信念なり理念があって論陣を張るならいいが、世論迎合的で自社への責任の言及がない。しかし、サラリーマン記者としてうまくやっていくには自分の主張を声高にいうのはやめたいほうがいい。

「日経らしさ」とは、米国の受け売り、世論迎合、事なかれ主義だけを是とすることのようだった。理念とか哲学とは無縁の「情報サービス会社」として風見鶏のように臨機応変に立ち回ることが重要で、それは本来の言論報道機関の役割を放棄することを意味していた。

「君ね、日経新聞社のこと、言論報道機関だなんて思っている人は大企業にはほとんどいないよ。単なる情報サービス会社なんだよ。そりゃ、面と向かっては誰も言わんさ。第四の権力なんだから、反撃が怖い。でも、内心ではそう思っている」。