町中がハロウィン一色の中、いかがおすごしでしょうか?

地上では、あなたが天使になってから13年という月日が流れました。

早いものです。


13年、その間というより、この1年の間にいろいろありすぎました。

かじゅりんが「症状3・XXX症」に込めた気持ちを、今になってかみしめてます。

身近にそういう人がいない人には、

対岸の火事どころか、

理解できない気持ち悪い存在でしかないということも痛感しました。


人と違う人を理解すること、受け入れること、

私は人と人は違って当然だから、当たり前のようにしてきた。

できるかぎり理解してこようとしてきた。

とはいえ世の中は、理解しようとすることもなく、

「わかんね、きもっ」でつっぱねる人間のほうが多数なのかもしれません。

あんまり信じたくないし、私が変な人らと関わっただけだと思うことにしておくけれど。


かじゅりん、あなたはホントに繊細な人だったんだね。

去年Raphaelの本が出たとき、それを読んで知った。

大の大人でも大変なことを、19歳のあなたが全部仕切っていた。

制作環境やバンドを守るために、強く出ないといけない場面に、

何度も何度もひっぱりだされていたんだね。

本当は、そういうのキャラじゃないだろうに・・・・。

まわりのおとながもう少ししっかりしていれば、

今日もギターを鳴らして無邪気に笑うあなたが見られたかもしれないと思うと、

すごく悔しいけれど。

逆に去年のタイミングでそれがわかってよかったのかもしれない・・・。

当時の私らにそれが知らされていたら、どうなっていたか・・・・。


話を戻すね。

私は今年、ある人に、

「あなたの考えを理解することはできるけど、受け入れることはできない」と、

通告したんだ。

前々から、私のこと「ひと」として扱ってない人だったし、

そういうふうなこと言われてもされても、ずっと我慢して過ごしていたけれど、

いろいろと限界だったの。

そうしたら相手にふてくされたように言われたんだ。

「他の話だってどうせ受け入れてくれてなんかくれないんでしょ」と。

その時思った、私はこの人と離れるべきだって。


かじゅりん、私は必要に応じて人に「協調」することはできるけど、

必要以上に「同調」する必然性を感じないんだ。

それに、どうしてそんなに、私のことをうらやましいなんて思うんだろうな。

当たり前のことを当たり前に持っている人は、

その当たり前が「普通」に与えられたものではないことに気づかないから、

必要以上に他人と自分を比べちゃうのかな。

だから私に「リア充うぜえ」「シンショウ死ね」とか言ってくるのかな。

まあ「自称非リア充」とか、

「非リア充という立場を共有することで自分を守ってる人たち」に、

何言われたところで痛くもかゆくもないですが、正直グサッとこないわけもないのよね。


何を言われても、何をしても、わたしはわたし。

そうだよね、かじゅりん。

この一連の騒動のおかげで、自分をしっかり見つめ直すことができたし、

これはこれでよかったのかもしれないなって思える自分がいるんだ。


来年ごあいさつするとき、自分がどうなってるかわからないけど、

つらいときはまた、Raphaelの曲を聴いて元気をもらうよ。

毎年毎年、あなたへの記事を書くときは、

近況報告という名前の愚痴になってることが多いですが(^^;)

来年は、もっと明るい話ができるように。

そのためにも、今日一日をしっかり明日につなげるために生きていきます。


大好き、かじゅりん。