という精神的な症状があるそうです。
過去にすごく精神的にショックを受けた出来事があって、
毎年その時期が近づくと体調がおかしくなってくるという。
自分にも同じような症状がありまして。
まさに15年前の今日、私は小学校を卒業したんですが、
小学校時代いじめられて卒業1ヶ月前にクラスをかわったこともあり、
小学校時代のことはあまり思い出したくないわけです。
それもあって、この時期になると体のどこかが必ずおかしくなるのですよ。
15年前の今日、というと、
ある事件を思い出される方もいらっしゃると思います。
「地下鉄サリン事件」
まさにあの事件が起こった日、
私は忌々しい思い出を見かけだけ綺麗に飾り立てる式に出席していました。
他の子たちがみんな泣いているのに、
私は涙が出る気配もなかったです。
自分をいじめた連中が涙声で「たのしかったー、ろくねんかんー!」とかやってるの見ると、
知らず知らずのうちに怒りがこみ上げてきて、
それをおさえるのが大変だったぐらいです。
そりゃあんたらは楽しかったでしょうよと・・・・。
あの事件が起こったのを知ったのは、
卒業式後にあったお別れ会に出席して、
自分を救ってくれたクラスの仲間と一緒にカラオケを楽しんだ後、
家に帰ったときに玄関につっこまれていた夕刊でした。
地下鉄に毒ガス、死傷者何人・・・という衝撃的な見出しに、
「なにこれ・・・」と一瞬にして楽しかった気分が吹っ飛んだのを覚えています。
それから地下鉄サリン事件の報道を見て、
被害者のやりきれない感情であるとか、
精神的後遺症で苦しんでいる人々がいることなどを知りました。
その人たちは人生を狂わされ、未だに過去の傷に苦しめ続けられている。
私のいじめと重ねてしまっては、被害者の人にすごく失礼かと思うのですが、
幼心に「同じだ・・・」と思ってしまったのです。
人生を狂わされたやり場のない怒り。
誰を恨んだらいいのかわからないほどの憎悪。
なかなか理解してくれない周囲への失望。
対応がすべて後手後手にまわる上のほうの人。
その物事を吹っ切れない自分への怒り。
なんとなくなんですが、学校側は、
「私を卒業させて、担任を異動させてしまえば終わりだ」と
思っていたふしがあるんですね。
そういう学校の対応を見てたから、
余計に遺族の方々の気持ちとかぶってしまったのかもしれないですね。
なんていうか、
たとえ加害者側が全員被害者の顔や自分たちが起こしたことを忘れたとしたって、
被害を受けた人間は一生その十字架背負って生きていかなきゃいけないわけですから・・・・。
心の傷は癒えることはない。
傷ついた事実があるかぎり、一生それから逃れることはできない。
この先何が起こるかわからない。
いつか過去も含めて何もかも包み込んでくれる人に出会えるかもしれない。
とはいえ今はまだ、自分自身その呪縛に取り付かれている状態。
はっきり言って「しんどい」ですね。
「つらい」というより「しんどい」です、はい。
実はこの話書くかどうかすごく迷ったんですけど、
もし自分が自分の経験を話すことで、誰かの助けになるのなら、
こういう症状に苦しんでいる人がいるということを知るきっかけになるのなら、
思い切ってアメンバー限定にせず全体公開の記事で書きました。
ってか、今の自分があるのもね、
ある意味この傷ついた過去が少なからず影響してるわけで。
泣きたいときに泣けなかった、笑いたくても笑えなかった経験があるからこそ、
逆に読んでる人に笑ってもらえる文章書こうとか、
「物事で一番大事なのは、笑えるか笑えないか、それだけだ」とか、
真顔で言ったりする人間になっちゃったんだと思います(^^;)
そういうこともあり、
毎年この時期になって、
地下鉄サリン事件の被害者たちは今、というような報道を見ると、
ある日突然家族を失ったり、人生の歯車が狂い始めてしまった人たちは、
15年という時間をどういう感情で過ごしてきたんだろうと思うと、
自分のことのように胸が締め付けられるのです・・・・・。