今年になってからの体調不良から、
今回の手術までを振り返ってみたいと思います。
令和2年元旦、すでに少し身体が怠かった。
娘夫婦も一緒のお正月だったのであと思う少しと頑張っていたかもしれない。
娘夫婦が予定より早く帰ることになったのだけど、
「もう少しゆっくりしていけば?」と言わなかった(言えなかった)のも体調が良くないせいだったのだろう。
1月半ばになると、明らかに何もできないくらいに身体が怠い。
鎮痛剤を飲みながら18日だったかには、鳥栖プレミアムアウトレットにお財布を買いに行く。
この日、帰宅して悪寒で歯がガチガチいうほど震えたけれど、
特に風邪のようでもなく、
翌週には少し回復したので、娘のところまで届け物に行ってきた、
その帰りに下腹の痛みで途中2度トイレに駆け込む。
下痢をするなんて滅多にないことだった。
1月31日夜、
突然お腹に、首を寝違えた時のような筋肉のけいれんのような衝撃が走る。
2月1日、
友人宅のミカン狩りに行き、脚立に上ってミカン狩りをして、重い荷物を抱えたりして、
帰宅後、買い物に出て夕飯は全く食べられなくなる。
この後、微熱が続き、ほぼ正常な判断が出来なくなってくる。
週明け月曜(2月3日)になるのを待ってかかりつけ医に行くと、
神経痛だろうと湿布を出され、
微熱があることを伝えると、たまたま風邪も一緒になってるだけじゃないかな?と、
自分で正常な判断はできなくても、白血球が高い気がしたので血液検査をお願いした。
この病院が休みが多く、先生が2人体制なので、
その結果が聞けるのが最短で木曜(2月6日)だったのは今から思うと、ぞっとする。
木曜の朝を待ちに待って病院に行くと、
〇〇先生は午後なので、午後に来てもらえますか?と出直すように言われる。
検査結果が悪ければすぐにでも連絡をくれるものだろうと思っていたのだけど、
出直すと、開口一番、
「即入院、今からすぐに大きな病院で診てもらいなさい、そこに何かある!
私が悪かった、早く気が付いてあげるべきだった、申し訳ない」
「えっ今からですか?。。。って、ガンとか」
「いや、それを調べるためにだけど、どうする明日にする?
それでも今夜にでも具合いが悪かったら迷わず救急車を呼ぶこと!わかった?」
私、死ぬのかな?と思ったら、
気持ちを整理する時間が欲しくなった。
先生曰く、救急車を呼ばないといけないくらいの身体で、
いつもと同じような生活をしたくて、近くのスーパーで自分のために大きなイチゴを買って
帰って1パック食べた。
いつも子供たちのためにばかりで、大きなイチゴなんて自分のために買ったことなんてなかった。
死ぬかも?と思ったら、自分のために大きなイチゴを食べたかったのだ。
前日までは、「いい加減しっかりしてくれないかな?」と言うと逆切れ気味だった夫も、
帰宅してその話をすると、
「俺が苦労ばかり掛けたせいだ!」と大泣きしていた。
私はと言うと、冷静に、
もし帰ってこれたら、あの服は要らないな、残しておいても家族が処分に困るものは片付けよう!とか、
夫は休みを取って病院に連れていくつもりだったようだけど、
これからのことを考えると、手術だとか会社を休む必要もあるだろうから、
明日はひとりで行くので、予定通り会社に行くようにと促した。
身体はボロボロだけど気力はまだ十分。
入院となっても検査入院くらいのものだろうと、バッグにタオルと下着、最低限必要なものだけ入れて、
タクシーで行くようにと言われていたけれど、
バスに乗って、その待ち時間にもマスクがないと言う友人のためにマスクを買いに寄り病院へ向かったのでした。