なぜ、肉体に働きかける行法が必要なのか?
なぜ、ヨーガではアーサナ・プラーナーヤーマ・ムドラーを行うのか?
なぜ、仙道では導引や動功を行うのか?
坐法を長時間、安定して組むためには、股関節を始めとする全身の関節が柔軟である必要があるから?
いや、それならただのストレッチ体操で十分。
瞑想を椅子に座ったり、寝て行うなら、それも不要。
座ってばかりでは運動不足になり、健康を害するから?
いや、ジムでのトレーニングの方が効率的だし、好きなスポーツをする方が簡単だ。
指導者ですら、わかっていない人が多いのかもしれない。
上記の理由はよく本に書いてある内容。
某気功家は站椿功をやるより、ジムでトレーニングをした方が効率的だとブログに書いていた。
別にスポーツやトレーニングを否定しているわけではない。
運動不足の解消や健康維持のためには有益だろう。
ただし、スポーツやトレーニングはアーサナ・プラーナーヤーマ・ムドラーや導引・動功の代用にはならない。
目的がまったくちがうのだから。
(逆に肉体行は運動や体操としても有効)
なぜ、意識を肉体から解き放つ、あるいはエネルギー体(エーテル体?アストラルボディ?ライトボディ?幽体?霊体?)に意識を移し替える修行をしているのに、なぜ肉体に集中する行法が必要なのか?
エネルギーポイント(チャクラ、丹田、ヴォルテックス等)に通じるエネルギーライン(ナディ、経絡)が通っていない状態で、エネルギーポイントに集中しても意味がないからだ。
水道とつながっていない蛇口をひねっても水が出ないようなもの。
他人事のように書いているが、かつての私がそうだった。
下丹田に炎、太陽をイメージしても、まったく熱くならない。
頭に月をイメージしても、まったく冷気は生まれない。
アーサナや動功はやっていたが、やり方も甘かったし、意味がわかっていなかったからか、効果はなかった。
クンルンやクンダリーニヨーガ、周転法などの修行にまじめに取り組んでいるのに、今一つ体感がないという人。
原因は肉体的な行が足りないせいかもしれない。