ご覧頂きありがとうございます
バツ1マル2(子無し)のミドサーサラリーマン(♀) みじんこです。
新卒入社した会社を半年で辞める行動力()のお陰で複数回の転職しています。
三十半ばにしてまたまた転職するという落ち着きの無いサラリーマン人生をブログに書いています。
おはようございます。
6月まとめ記事がまだですが、
勢いで書きたいことがあるので、
通勤時間の超速更新。
自分の異動は無いのですが、周りの動きが大きくバタバタしてます。
コメントしたいのに出来ない日々…
いつか大分前の記事にコメントする旅にでたい…(迷惑)
ここ最近、以前に増してたくさんの資料を作成する機会があり、感じることがあります。
それは
「意味を持って仕事をしたい」
ということ。
決まりとして作らなければいけない資料も、
なぜそう決められているのか?
考えながら作る。
資料によっては、自由度は異なるけれど、決まりに縛られるだけではなく、
誰に・なにを・なんのために伝えるのか?
どうしたら伝わるのか?
誤解を生まないか?
…そんなことを考えて作る。
当たり前のことなんですけど、実は難しいことだと思っています。
そんなことを考えていると、街中で見るものの視点も変わってきます。
例えば牛繁
全てにメッセージがあり、それを皆無意識に受け取ってるんですよね。
だから、資料を作る時も
「今、ここだけMSゴシックなのはなんでですか?」
と、問われれば、
「そこは見出しとなる項目だからです。書面内にテンポを持たせるために変えてます。」
とか、
「なぜこの項目はいつも青く色をつけてるのですか?」
と問われれば、
「この項目は青、この行動は赤…というルールで作成しているからです。」
とか。
全て答えられる状態がベストだと思ってます。
資料を見る人はそんなこと考えないですけど、全ての要素について意味を持って選択することで、伝えたいことがストレートに伝わるようになります。
誤字・脱字と同じように、色・フォント・図形の形…それぞれが整っていないと、その分だけ資料に集中出来ない要素が増えてしまう。
結果、伝えたいことが伝わらない資料になる。
「神は細部に宿る」というけれど、消費者側から見たら「細部」に見えるけど、作る側からしたら全然「細部」じゃないんだよねぇ。
「なんとなく」で仕事しない。
「なんとなく」に理由を見つける。
そういう仕事をしていきたいです。