こんにちわ。
ただ今リセット中のkopoopoです
不妊治療に踏み切るまでの出来事を
思い出すままに書き連ねています。
今回は不妊治療とはあんまり関係ない
個人的な話が中心です。
長くなりますがお付き合いください、、、
前回の続き↓↓
8月1日
予定よりだいぶ早くつく
早速対面✨
テレビでよく見る様な
「娘さんを僕にください」
「何処の馬の骨とも分からんやつに
娘はやら〜〜ん❗️❗️」
みたいなやりとりもなく
すんなり結婚する雰囲気に。
そりゃそうだ
独身をつらぬくのだろうと思ってた娘を
この歳で嫁にもらってくれるだけで
奇跡だし、ありがたいと事だと父は胸を撫で下ろした事だろう
母もとっっても喜んでくれた。
8月12日
心臓手術で有名な県外の病院にて手術日
「結婚式も出たいし
子供も見たいからお母さん頑張るね」
と手術室に入っていきました
手術は無事成功❣️
食欲はないものの、
後遺症もなく1週間ほどで退院。
コロナ禍で退院まで会えなかった1週間。
私と父は電話の音に耳をすませ、
万が一を考える毎日。
ご飯もあんまり食べれず
生きた心地がしなかった
ちょっと気を抜くと
不安で直ぐ涙が出てきてしまい
父に見せないように必死に隠した
父も同じだったと思う
遂に母が退院
甥っ子達と一緒に退院祝い
母は胸が痛くて全く食欲がないとのこと。
毎日あの手この手で
なんとか少しでも
お母さんが食べたいと思えるものを
作った。
夜は足のマッサージ。
朝昼と少しずつ散歩をしてリハビリ。
お母さん用にベッドを購入し、
隣で毎晩寝息を確認しながら寝た。
勿論、家の事は全てやる
家をでてから今日まで
親孝行ということをしてこなかったので
全然苦じゃ無かった。
お母さんが生きてそこに居るだけで
うれしかったから
退院して1週間後、早朝6時、
胸が苦しいとドクターヘリ🚁で運ばれる
私は初救急車🚑
大事にはいたらかったが
まだまだ安心できないんだと痛感
そんな中
彼氏から誕生日のお花が
メッセージと一緒に届く
「こっちは気にしなくていいから
kopoopoが気の済むまで
お母さんに色々してあげなね」と
本当にありがたかった・・
この後、9月の末まで実家に張り付き、
その後は2週間ごと実家と行き来。
不妊治療のこと、自分達のこと
早く進めたかったけど、、、
今後の人生で後悔のないように
やれる所までやってあげたかった。
あと、、
ちょっと毒吐きます↓
隣に住んでる義姉は悪い人ではないが
嫁に来てから1度も
母に料理を習おうとしたこともなく、
うちの味がつくれないのだが
一緒にご飯にしても
味噌汁さえつくれない。
(普段は兄がご飯を作ってるらしい)
父は好き嫌いが多く
弁当や買って来た物、
人の家の食べ物がたべれないなど
ちょっと面倒くさいのも原因だが。
休みの日でも顔さえ見にこない、、
声かけにもこない、、、
意地悪でこないわけじゃなく
察せないというか、、
なんか
寂しくなっちゃいました
家族として
人として、、、
コロナ禍で
県をまたいでの行き来は
あんまりしたくなかったが、
隣に住んでいる兄夫婦は
アテに出来なかったから
私がやるしかなかった
聞いてはいたがここまでとは、、、
呆れちゃいました
ふぅ〜
失礼しました
話を戻します
家に戻ってきたタイミングで
両親の結婚記念日と同じ日
10月10日に
婚姻届を提出⛪️
翌日すぐに、旦那と都合あわせ
KLCの初診を予約を入れることが出来きた
やっと
スタートラインにたてたと
また新しい挑戦に
ちょっとワクワクしながら
44歳晩秋遅すぎる
不妊治療の扉を開いたのでした