両親から、終活にむけて

動きたいと言われています。

少しずつ、すべてを仕舞っていきたい。


そんな中の1つとして

新聞を断る

というミッションがありました真顔

一年前、ながくお付き合いしていた

新聞やさんに、理由とともに

つぎからは、購読できないことを

お伝えしました。

そこで、了承されていたので

安堵していたのにネガティブ煽り

日曜日の今日、

一人で寝ていた←1日中

ところへ、3回もピンポンをならす人が

いて、、、

さすがに、3回目にはインターフォンを取った。

【新聞やです。

本日、締め日で

商品券、かなりサービスしますから

なんとか半年とってもらえませんか。

今日、3回きてるんですよ】

あげくに

【今回取ってもらえば、あと2年はおとなしくしますんで】

むかつき物申す

あきれて、ものも言えないが


これが、

これから手仕舞いする人と

これから生きていかなくてはいけないと

営業をがんばる人の違いなのか。


と、なんだか、腑に落ちた。


しかし、

股関節のわるいアタシは

新聞をくくる作業すらしんどい。



お金だけ払うならお付き合いしますよ。

新聞は入れないでください。びっくりマーク

と伝えた指差し


すこし、あまちゃんな考えかもしれないが

ごく近い身内に

同じようなシゴトをしている人がいて

営業が大変なことは知っていた。

まして、デジタル化で便利になった

紙面の新聞は、人気がなくなり

朝のトコトコトコっとくる配達員の

バイクの音も、あまり聞かなくなり

業界の厳しさは、そうとうなものだろう。


しかし、それはご法度だそう。


本当は

【高齢の親をねらって、

情をほだす 作戦で二度と来ないで】

と言いたかった。


でも、みんな生きていかなきゃいけないから。

みんな、生活があるのよ。わかるから

言えなかった。


でも、一言だけ釘さした。

【両親に支払い財力はないので、

アタシがいるとき以外に来ないでください】


終活も、営業も

せいはんたいのようで

つうづるものがあるのかもしれないな。