こんにちわ!コピけも@桜子です。
こちらのブログでは、コピーライターの仕事とは別に
好きなことを、好きなように、好きなだけ
書き散らして したためていきたいと思います。
おつきあいありがとうございます。
突然ですが、黄昏になるとふと、小さな憂鬱に囚われるのは私だけでしょうか?
太宰治の未完の小説に出てくる「トカトントン」のように
(当然、実際に「トカトントン」という音は聴こえないが「トカトン」級くらいで)
黄昏になると、ふと空しくなり、淋しさを感じる瞬間があります。
人は眠るときに小さな死を迎え、日々、朝に生まれ変わる。
そんな言葉を、どこかで聞いたことがありますが
黄昏どきのトカトントンの正体とは
太古から続く「諸行無常」の法則や、
人生の時間は有限であるというまぎれもない現実を
ヒト科ホニュウ類としての本能が
無意識に察知しているセンサーかも、しれません。
ラグジュアリーなホテルや、ハッピーな広告を私が好むのも
徹底的に生活感を排した空間なら、トカトンを忘れていられるから。
明日も明後日も永遠に自分は若くて幸せなように、錯覚していられるから。
トカトンに襲われるシチュエーションは、さまざま。
オフィスで、PCに無心で打ち込んでいるとき、ふと
わたし、何してるんだろう・・・・![]()
ぽってりとした朱色の重たげな夕日が、
西日となって、カーテンに光を映し出すような
ゆるやかな時間だと、もう、いけません。
トカトンが、暴走列車となってしまう
。
アルバムなんぞ開いた日には、懐かしいどころか
今頃子供の気持ちがわかるダメ母ちゃんの私なんぞ
ああ、もっと甘やかせてあげれば良かった。
もっと、ああしてあげれば良かったって
あと親とはどのくらい一緒にいれるだろうって
とりかえしのつかない時間に対して、クヨクヨ、せつなくなってしまう。
とことん、うしろ向きのコピけも@桜子です。
これは誰にでもというわけではなく、体質でしょう。
母はトカトンなんて感じたことは皆無らしく
「先のことは考えない。一日一日を精一杯生きる」を
すがすがしく開き直り 達観しています。![]()
日々、人生の黄昏に近づくたび
トカトンも濃くなっていくのかもしれませんが
美しく老い、年を重ねるということの必須条件は
トカトンを上手に飼いならすことだと思っています。
生きていることは奇跡。
そして、有難いことだから。