御幸寺山(みきじさん)登山道を登っていくと、頂上からは松山平野が一望でき、松山城や総合公園の展望施設、伊予灘の海岸線、興居島も見える。すごく気持ちいい。鳥居は石鎚山の遥拝所になっている。
山頂には蔵王権現が祀られており、岩場から鎖が架けられており、修験者が通る「行場」だった事がわかる。
#御幸寺山 #蔵王権現




御幸寺山(みきじさん)登山道を登っていくと、頂上からは松山平野が一望でき、松山城や総合公園の展望施設、伊予灘の海岸線、興居島も見える。すごく気持ちいい。鳥居は石鎚山の遥拝所になっている。
山頂には蔵王権現が祀られており、岩場から鎖が架けられており、修験者が通る「行場」だった事がわかる。
#御幸寺山 #蔵王権現
松山には種田山頭火が住んでいた一草庵が残されていることをご存知だろうか?
8年前に、休憩所+展示スペースが建てられた。
それまでは、細い道が玄関まで続いていたそうです。
この草庵に入った山頭火は「おちついて死にさうな草萌ゆる」と詠んでいる。
#一草庵 #御幸寺山 #山頭火
四国霊場であると同時に松山市の観光名所としての一面もあるので、観光客も多い。
道後温泉から、宝厳寺を抜け、石手寺まで裏道(遍路道)を通ると昔ながらの遍路道がまだ残っている。(舗装道路になったところが多い、残念)。
室町期の絵図を見ると、熊野十二権現が立ち並び、熊野信仰が日本全国に広まっていたことが分かる。石手寺境内の広さは道後温泉をも含んでいて驚きます。
石手寺には、有名な「衛門三郎伝説」がある。その三郎が生まれた時に握っていたという石が宝物館にある。それで、衛門三郎伝説にちなんで、当時「安養寺」だった名を「石手寺」に改名されたという。
まさか、石を握って赤ちゃんが生まれるなんて。。。かなり大きい。本当に握っていたのか?
ひんやりと冷たい洞窟(マントラ洞窟)通り抜け、裏山を登ると高さ16mもある、「弘法大師像」が立っています。
#四国八十八箇所 #お遍路
三重塔の左上に弘法大師像が見える。実際は16m。
歩き遍路をした時、へんろ道保存協会の案内板を見つけた時は、この道で合っていると安心したものだ。
「ていれぎや 川より低き 西林寺」こんな句が立っている。
四十八番札所 清滝山 西林寺。
橋を渡り少し下った場所に山門がある。
空海が清水の水脈を見つけたので、そのまま山号は清滝山となった。
この泉は「杖の淵(じょうのふち)」と呼ばれ、全国の名水百選にも選ばれた。
空海の湧き水伝説は全国に 300以上あって、まるで地下の水脈が見えるみたいだ。
四国を「区切り打ち」で歩いた昔が懐かしく、近くの札所の前を通るとつい寄り道をしてしまう。
愛媛県松山市高井町1007
#四国八十八箇所 #お遍路
神様は水を守護する天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、足立重信(あだちしげのぶ)です。
江戸時代、豪雨の度に氾濫していた川の改修工事を行った重信(しげのぶ)の名前がそのまま川の名前になっている。
子供のころ、重信川河原や水天宮でよく遊んだものです。
伊予鉄道、横河原駅から徒歩5分
教室の入り口手前にチラシを置いてます!
受講コース内容や料金、教室の特徴などをご覧いただけます。
8月のミニカレンダーも入っています。
お気軽にお取りください。
教室入り口に七夕の笹を飾ったよ。短冊も超ミニです。
七夕伝説の「おりひめとひこぼし物語」では、
ひとめで好きになって、夫婦になった二人は遊んでばかりだったそう。
機織りはしない、牛の世話をしない。
それで、神様が怒って二人を引き離した。
でも、神様は優しい。
まじめに働くことを条件に、一年に一度だけ二人が会うことを許した。
ずっと一緒になれないけれど、一年に一度会えることを楽しみに、二人は一生懸命働くようになった。
働かないで暮らせる世界はまだまだ先のことだろうか?