前のブログで
中学受験で気づいた事の1つに
夫婦関係の大事さ
と書きました。


タイトルにもあるように
わが家は中学受験で夫婦関係が
変わったと思います。


わが家は夫婦関係が良好!
といえる状況ではありませんでした。


夫は
アルコール依存症気質で
モラハラです。


長らくこんな夫と闘い、
いつか離婚してやるんだと思い
生活していました。
この原動力が看護師になるに
至ったわけでもあります。


こんな夫でも、
仕事に対する姿勢は尊敬していたし、
子供の教育に対する考え方は
自分と似ていました。

だからこそ
私が最終的に看護師になることも
賛成してくれたし、
長女の中学受験をしよう
という流れにもなったのだと思います。


それでも夫のないところに
目がいく私。
ママ友の旦那さんは
家事育児に協力的で
優しいのに。


うちの旦那ときたら
お酒ばっかり飲んで。
私が仕事して
家事やって忙しくしてて
子供は泣いてるのに
知らんぷり。
私のイライラはMAX。
当時の家庭内は相当荒れていた
と思います。


夫には毎日イライラガミガミ言うか、
私の大変さが伝わらなすぎて無視をするか
どっちか。


夫に対してイライラしているのに
子供に八つ当たり。


とにかく余裕がなかったです。


私が看護学校に通い始めて
2年生になるとき、
長女が5年生に上がるとき。


私は離婚を決意して、
子供たちと住む家を決めて
あとは契約書にサインをするだけという
状態まで進めました。


当時学生の私に収入はなくて
前職の退職金と自分の微々たる貯金で
賃貸契約できるとなったのです。


子供たちに中学受験させたかった、
だけどもう限界。
夫といることは
私の人生になんの得ももたらさないし、
損でしかない。
解放されたい。
そんな思いでした。


毎日泣きながら、
離婚することが本当にいいことなのか
自問自答し、
でもこれが自分と子供たちのため
と信じ前に進もうとしていた矢先。


不動産会社から
「契約日までに改修工事は終わりそうだけど
まだ進んでなくて…」
と連絡があり。

えっ?
「不安なので見せてください!」
と見に行ったら
これ住めるようになります?
という状況でした。
女一人だから騙されてるんじゃないかと
怖くなってしまって、
契約しない決断をしたのです。


=離婚を諦めること。


いや、離婚をしないための
マンションを契約しないという選択
だったのかもしれません。
 

1年くらいは離婚しなかったことへの
気持ちに踏ん切りが
つきませんでした。


あのとき離婚できなかったこと
あのときならお金があったのに。
また地獄の生活に逆戻りだと。
なんで離婚しなかったんだろう、
離婚できなかったことに
後悔しかしありませんでした。


ちょうどその頃、コロナ禍に入り
看護学校も子供たちの学校も休校。


この先の人生を考え直す
時間的余裕ができました。


毎日誰かを憎んで過ごす人生よりも、
離婚しなくてよかった
と思える人生にしたい、
しなきゃいけない。


夫の酒量が変わったわけでもない、
モラハラ発言も変わらない。


でも仕事は一生懸命で
私たちは夫に生活させてもらってる。
まずそこに感謝しなきゃいけない
と思うようになりました。
表面的だとしても「ありがとう」を伝える。


なんでも言葉にしないと伝わらない
と思うようになり、
話をするようになりました。


自分が言われてイラっとする
棘のある言い方はしないように
気をつけました。
ずっとやってましたからね。。


やっぱり話さないと伝わらない。
今までは、
私の態度で伝わるだろうとか
察してよと思ってましたから。


努力はしつつも一進一退、
夫婦関係はすぐにはよくなりませんでした。
やっぱり離婚すれば良かった
という気持ちも消えてませんでしたし。


でも徐々に、本当に徐々にですが、
夫婦の会話が増えていき、
子供たちや自分たちの将来について
話し合えるようになりました。


そして挑んだ長女の中学受験でした。
学校見学、
受験校や金銭面の話し合い、
長女の塾の送迎やお弁当作りなどなど。


たくさん話し合い、
いかに長女にとってベストな状態で
受験に臨むか、
そこに注力し協力しました。


夫婦関係がよくないと
子供たちにも余計な不安を与えてしまう。
当たり前なのに
頭ではわかっているのに
今まではできなかったんです。


相手に変わって欲しいと
呪いのように願い続けたからですね。


夫婦関係についてはまだまだ模索中です。


でも言えることは、
人は変えられない
人を変えようなんて思ってはいけない
ということ。


自分が変わることでしか
世の中は変えられない
と実感しています。