幼少期の私より続編のつもり。。

鉾の解体作業が始まり少し落ち着きつつある京都です。






メインのお祭り中は避難して少し実家へあしあと電車


母と駅で待ち合わせしてぶらぶら~
ユニクロとかデパ地下を買い物した。

思えば思春期の私は母と喧嘩ばかりしていた。
私はその時の事を“血と涙の戦争時代”と呼んでいる。。タラー


私は両親が結婚してから5年経って生まれた。
母は子供ができなかったことを父方の祖母に散々嫌みを言われたらしい。
しかも祖母は男の子の孫が好きだった。

私が産まれたとき病院に祖母と父が一緒に来たけれども、私が女の子だと分かったとたん顔も見ずに帰ったらしい。
(王族か!?)


女だからってあれこれ文句言われないように育てたかったそうだ。

しかも父が母の外出をあまり許さず10年くらいかごの鳥状態だったらしいから、ストレスは相当なものだったと思う。

テストの点数が悪かったら厳しく怒られたし、上から押さえつけられた毎日を送っているようだったし、母とは話が合わないしそして反抗するし、、の毎日。







「あんたとお母さんは親子と言えども相性が合わへんのやわ」




「もう、あんたの親やめるわ」




よく言われたセリフだおばけくん





「あんたの⚪⚪なところがあかんねん」

ダメだしも多かった。



大人になってからもダメだしばかりされてきたという思いがなかなか拭えなかった。



「お父さんもお母さんもダメだしばかりやな」
嫌味のメールを送ったこともあるタラー





でも私が家を出て、適度な距離が出来て少しずつ本音を言えるようになってからお互いに理解しあえるようになってきて会話が増えた。





夜ご飯を食べた後は、韓ドラの話をしたりフルーツを食べたりスイカ父の愚痴を言ったり。。チュー


流れで話は従兄の話になった。

私の母の姉の息子だが、私より一回り以上上だから50代だ。

その従兄が少し前に突然結婚した。
(従兄は結婚する気がなさそうだったからみんなびっくりしていた)

去年に母の姉と一緒にその奥さんと初めて会ったようで。

その時

「おばちゃん(母の姉)から言われたわぁ。」と母。


「人間な、、いつ突然どうなるか分からへんで」


私を見て




「あんたの事やで」



「う、うん。。。」キョロキョロ



あれ?
お母さんてこんなに応援してくれる人やったっけ。。。!?


きっと今まで受け取っていなかったんだろうねショボーンタラータラータラー
お母さんなりに励ましたり応援してくれてたはずなのに。。




私はこれが、今、私が映し出してる世界なのかなぁ。とふと思ったのでした。✴✴✴


自分の目が映写機みたいに世界を映し出している。


ちょこっと気付きのメモでした本












【追伸】

綿毛くん



君はどこからきたの?UMAくん