地震の被災者が増えている。

 

残念で、何とも言いようがないが、災害は明日は我が身かもしれない。

 

 

 二日の朝はいも汁。

 

長芋は常連のTが栽培したヤマイモで、29日に来た時に二本持って来てくれた。

 

1m近い立派な芋で、家庭菜園で丹精込めて作った少ない本数の貴重なものを頂いて有難い。

 

この辺りの土と土目が違うので、良くできるのかも。

 

取敢えず曲がったものを半分使って作った。

擂粉木は51㎝ある。

 

もう半分は夜に来る妹や姪達のために、夕方にもう一鉢作っておいた。

 

 

 昨日元旦の一面のトップ記事

 

 

他に記事が無かったのか、信毎としてこうした活動を支援しているのか、元旦のトップ記事にしては賛否の評価が分かれるのでは。

 

熊の保護と政策についてはいろんな考えがあるが、私はお仕置き放獣や学習放獣は効果が小さいと思う。

 

例えお仕置き放獣された熊やその子熊が人里に近づかなくなったとしても、山中で増加した熊が他の熊の縄張りから出て自分の縄張りを得ようとすれば、人里に出て来るしかない。

 

熊が人里に出てくるのは団栗の不作だと皆口をそろえて言うが、例え団栗が豊作でも、美味しい栄養価の高い食べ物を求めて人里に出てくる熊を、止めることは出来ないと感じている。

 

 

この記事の後半でも書かれているように、放獣の費用がネックとなる。

 

何も山中奥深く入って行って、むやみに熊を殺しに行くわけではない。

 

「人里に出て行ったら命が無いよ!人間は怖い存在だよ!」

捕殺による学習をさせると共に、ジャングル化した里山の整備、忠犬の活用猟師の育成等、先にお金を使うところがあると思う。

 

私は専門家と称する人たちの言うことを、鵜呑みにしないことにしている。

 

今までエイズに汚染された血液製剤の時も、東日本の津波で原発が被災した時も、その道の専門家と言う人達は自分の考えや研究が浅いことを「想定外」という言葉で逃げて来たから。

 

山の民として、水源の管理や山林の手入れ等に入山すれば、いつ熊による被害に遭うか分からない不安の中に生きる者として、敢えて物申したい。

 

被害に遭われた人の話では、背後からいきなり襲われた人もいる。

 

数年前から肉食化して牛を襲ったヒグマのOSO18のように、熊の性質や生態が変化すると、人を恐れず人を餌として認識しだして、熊避けの鈴を鳴らして歩けば「餌が来たぞ!」と知らしめるようなものになるのではないかと心配している。

 

昔のように、人は怖いものと熊に学習させるのが一番大事だと私は思う。