和智埜神社の元旦祭は1時過ぎに終え、片付けをして解散。

 

朝まで詰める総務と副総務の二人を残し、2時少し前に帰って来て、風呂に入って寝たら3時近く。

 

7時に起きて若水を汲んでお湯を沸かしたり、お神酒をあげたりなどの支度をする。

 

三宝様

 

床の間

 

元旦の行事を8時半から。

 

十二人で囲炉裏を囲み、お茶を飲みながら、豆・栗・柿を頂く。

 

お神酒を頂いてから我が家のおせちを頂く。

 

雑煮は餅を三個も食べてしまった。

 

9時45分に家を出ると、家の北側の道路は凍っていてツルツルだが、大妻籠集落は陽当たりが好い。

 

隣が植林した桧が大きくなり、よく見えていた集落が見えなくなった。

 

10時から「お大明っ様」で大妻籠区の新年会。

 

様々な話題が出されて四方山話で盛り上がる中、和智埜神社の次期役員決めをしなければならないので話題に出したのだが、誰もやりたがらない。

 

留任の声も出る中「詩吟行事と和智埜神社の行事が重なり、神社の会計として責任上、詩吟を犠牲にしてきた。」と話したところ、「個人の趣味より区の役が優先されるのは当たり前だ!」という意見が出て呆れてしまった。

 

二月に決定するということになった。

 

毎年の慣例なので、マサルちゃんの詠んだ短歌を元に編集し、用意して来た新年の資料を全員に配ってから、初吟をさせて頂いた。

 

詩吟の後お開きとなり、全員で記念写真を撮って散会。

 

11時30分に帰ってきた。

 

 

 和智埜神社には8時まで総務と副総務が昨夜から詰めていて、8時からは総代長とアキ君が接待。

 

12時からケンジ君と私が接待係なので、十分前位に到着。

 

参拝客に挨拶しておみくじやお守りを買って頂いたり、お神酒を振舞ったり子供にはミカンを渡したり、焚火を繕ったり。

 

午前中四十人位来たようで、12時から午後4時まで私が数えていたところ、ざっと四十七人だった。

 

4時にまでが責任なので、4時前から出してあったものを社務所に片付けたり、お賽銭をお下げするが、一円玉を十枚セロハンテープで纏めたものがあり、賽銭箱に大きくて入らないので外に置いてあった。

 

八個ほどあったので、八十枚八十円。

 

金融機関で二百枚以上の入金は手数料を取られるので、我が家で両替して二百枚以下に抑え、小銭は私があちらこちらの支払いに使っている。

 

お稲荷さんの賽銭箱は、明治七年に奉納されたものらしい。

 

社務所の中に色々と運び込んで帰る準備をしていたら揺れ出し、スマホや町の広報無線が地震を伝える中、慌てて社務所から二人で飛び出した。

 

元旦からビックリした。

 

4時半にお宮を降りるまでに、4時20分から二人が来たので、午後の参拝者は約五十人だった。

 

帰って来てから年賀状を確認したり、メールを確認して削除したり返信したりしてから夕食。

 

夕食後うたた寝して元旦は過ぎた。