(不思議の世界、生まれると消滅する事)の文を追加及び訂正文。


生と死は誰も避けることの出来ない世界なのだがそれを追求する人は少ない。

生まれたら時、既にその物は消滅するという宿命を持って存在する。


人も生まれた時、死に向って歩みはじめる。

青年までは成長過程であるため、伸びると言うことが最大の目標として人の心を捉える。


自分ほど判らないものは無いのだが、自分は一番自分を知っていると思うのもまた人である。

幸福という事、幸せと言う事、いずれも、物質では無い。

見せる事も、形にして出せる事も無いのに人はそれを求めて止まない。


あるときは、物質の代表的な「お金や不動産」を得たとき幸福を感じる。

失った時は不幸を感じる。


愛と言うものは、物質では無いが、幸福を感じる最大のものではないでしょうか。


失恋は時には死を選ぶ事もある。物質の損害も時は生命を絶つ時も有る。


どちらも大事だから一番大切な命を捨てる時があるのであって

何れが大事では無く両立『バランス」こそ大切。


「物質」は「色の領域」は見えるもの、「愛」は「空の領域」は見えないもの、

どちらも大事なのは同じである。それ故、二つの両輪のようなものではないかと考えます。


現代は見えるもの「お金、不動産、地位、名誉」などを重視する余り、

「空の領域」の精神や魂や心や意識や思考は後回しで余り重視しない傾向があるのは事実だと思います。


両輪だとすると片方の輪が大きく、片方が輪が小さいと前には進めないで曲がってしまう。


それが現代の姿ではないでしょうか。


幸福を幸せを求めるならば「色の領域と」と「空の領域」の両立こそが大事だと思います。


ご賛同頂ける方のご意見をお持ちします。

人は意識とか、心や、命と言う見えない世界と同時に、

見える世界「肉体」を所有していて

その見える世界が実在の世界と思っています。


見えないから余り気に掛けない。


量子は見える粒と、見えない波という二つのもので成り立っている。

原子より小さい、物質の最小単位。


だから、見えるもの、物質的なものと、見えない意識のようなもの、

魂や心というものが、量子から出来ていると言う事。

を理論的には説き現在の科学の論理の基本となっている。


宇宙も量子から出来ている。

大きくなったら、見えたり、見えなかったりは無いが、

最小単位それを常に行っているのだとすると、

本質的にはそれが行われているのだと言える。


物質は個体だと考えていたが、固体でなく、

意識のような『非物質」が根源的には量子が、

「見える時」と「見えない時」という両方を兼ね備えると言う事。


人間は肉体も意識も同じだとは誰も考えないが、

それでも、量子まで行くと意識とか肉体とかは別とは言えなくなる。

少なくとも最高の理論物理学はそう言っているのである。


般若心経は「色」の世界と「空」の世界は別では無い、といっている。

「色不異空』『空不異色」と説く。

物質と意識は別のものでは無い。意識もまた物質とは別では無い。


そこで私たちの考えの根本が間違っているのではないでしょうか。

顛倒夢想(てんどうむそう)逆さまに観ていると心経は説く。


科学もまた粒と波と説く。宗教的論理は信用できない人でも、

科学の最先端の理論であれば無碍にはできない思いがします。


ここに学問と、仏教と、科学も同じ意味を

違った観点から説かれる時代が来た。


それを追求すると今解決できないで困っている問題も

解決できる秘訣があるように思えるのです。

不思議の世界、生れることと消滅する事、

当たり前なのに誰も本当の事は知らない。


でも、恐れ、心配、将来はわからない事なのに常にそれに悩む、

見えない世界だから、考えても判るはずが無い。


見える世界にいま生きている自分、生命とは何か、命とは何か、

経済が悪くなると将来はどうなるのだろうかと、つい考える。


考えても判るはずの無い見えない世界が気になる。


『般若心経』という自然の法則を説いた短い教えがある。

その中に、波羅蜜多(ハラミタ)という言葉がある。

これは見えない世界の事を指し示して説いる。


現在の世界「見える世界」と「見えない世界」の両方を示し、

心配は、苦しみは、恐れは、どうして起きるのかを解き明かしている。

どのように生きれば、その恐怖や心配から解き放たれるかを色々の言葉と、

方法を短い文字で示して説いている。


人生も終わりに近かずいて、始めて知った自然とはなにか、

の一部を教えられた。


そんな小さな理解でも死の恐怖は薄れるし、

将来の心配も無駄なエネルギーの消費でしかない、

と知りました。


自然はその法則通りにしか動かないのだから、

その法則を知ることが一番大事だと教えられた。


それを希望される方がいれば共にこの教えを学びたいと思いますが、

希望される方を求めます。