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サイコパスは2期の方が面白いと思った!!
お前らもそう思わせてやるよ!!


『サイコパス1期』は、アニメ全体における世界観の描写、まだストーリーの全貌を知らない視聴者たちに向けた『槙島正護』の意味ありげなセリフ、そして主人公『常守朱』と個性豊かな執行官たちの絡みや生い立ちが殆どを占めています。
SFとしてありふれたディストピア的設定ではありますが、刑事モノというジャンルにそえることでより際立つ『シビュラ・システム』。
『常守朱』は『槙島正護』を追うなかで、この世界を仕切る『シビュラ・システム』の全貌を知ることになります。
全22話を見終わった視聴者たちは、いくつも挿入されていた槙島の語りシーンを思い出し、その言葉を頭の中で反芻し、自分の生きる世界とサイコパスの世界とを比べて、どこか啓示的なストーリーだったなと感慨深く思うわけです。
しかし実際に思い返してみると、ストーリー全体を思い出すというよりは、各キャラクターそれぞれのカッコいいシーンや、インパクトの大きいシーンばかりを思い出してしまいます
これは『サイコパス1期』が『ストーリー性』として面白いわけではなく、『キャラクター性』が群を抜いていたということです。
もちろん、そのキャラクターたちを有効に活用した、出過ぎない、とても計算され尽したストーリーであったのも事実。
結果として、『サイコパス1期』は絶大な人気を誇ったわけですね。


『サイコパス2期』は、1期に登場していた人物の半数が消えてしまっており、見覚えのある顔は少ないです。
特に1期で重要な役割を果たしていた『狡噛慎也』、『槙島正護』の不在は2期を期待していたファンにとって大きな失望感を与えたはず。
しかし、濃い登場人物が消えたことで、サイコパスという世界を画面の外から眺めているだけでなく、よりその世界に入り込むことができるようになったのかなと思います。

まず前提として、2期のストーリーを楽しむ前に、サイコパスの世界をしっかりと知っている必要があります。
その要素は大きく分けて3つあります。

1.シビュラ・システムには、平等で完璧な裁きを行う完全性が要求されている。
要求されている=市民が信じている、です。

2.シビュラ・システムは、シビュラ・システムに裁くことができない存在である免罪体質者を自身に取り込むことで、裁くことができない存在をなくし、その完全性を維持している。
免罪体質者とは、1期における槙島正護のような存在のことです。

3.シビュラ・システムは多数の免罪体質者の脳をによって構成される集合体のシステムである。
この事は、2期の始まり時点では主人公『常守朱』しか知りません。

前提を踏まえたうえで、考察や意見等と述べていきたいと思います。
まず初めに、2期登場人物である『霜月美佳』(以下あやねる)がうざいと言われている原因と弁明について。
あやねるは、主人公『常守朱』と同僚の立場(安局刑事課一係・監視官)にある女性。成績優秀で、サイコパス色相も常にクリアを保っている。常守朱に対し劣情のようなものを抱いており、事あるごとに突っかかります。

あやねるはサイコパス2期後半でも言われているように、模範的な市民です。模範的な市民というのは、『シビュラ・システム』を疑わず、善悪、全ての判断をシビュラに任せているという意味。そしてサイコパス色相が濁ることを恐れています
2期の黒幕『鹿矛囲桐斗』は、『サイマティック・スキャン』に認識されない存在でした。彼の行う犯罪は『模範的な市民』では暴くことが困難で、その為、『模範的な市民』ではない常守朱に目をつけ、彼女をおびき出します。
『模範的な市民』では暴くことが困難な理由は、『サイマティック・スキャン』に認識されない存在だからです。サイコパスの世界において、『サイマティック・スキャン』に認識されない存在というのは、現実世界の『透明人間』に等しく存在し得ない現象です。『サイマティック・スキャン』とは言わば『神の目』。その『神の目』に見えない存在がいることを認めてしまえば、人権どころか、世界そのものの根本を疑うことになります。
以上の理由で、あやねるは物語後半まで『鹿矛囲桐斗』を認めないのです。彼女の心の中には疑念があったでしょう。事件現場に残される『W.C』の文字、ありえない現象が2つ重なる現実。しかし彼女は『鹿矛囲桐斗』を認めません。何故ならその行為は、自分の価値観全てを捨て去り、サイコパス色相を曇らせる原因になるからです。
物語の最終盤で、あやねるは『シビュラ・システム』の本当の姿を知ります。それを知った後のあやねるは、目を虚ろにしながらも『シビュラ・システム』を肯定しました。これもすべて、色相を濁らせないため。そして今の世界を健全なまま受け入れるためです。
以上の理由から、あやねるはただうざいだけではなく、視聴者にとって(常守朱が好き、もしくはサイコパス世界の真理を知っている)うざい存在になりえたのです。
更にいうと、『鹿矛囲桐斗』の存在を否定していたのは、『宜野座伸元』も同じです。彼は1期で常守朱の先輩として監視官を務めていました(2期では執行官)。『宜野座伸元』もあやねると同じく、世界を疑いません。『シビュラ・システム』の全てを知らない限り、疑いようもありませんからね。


さて、あやねる紹介で話した通り、『鹿矛囲桐斗』は透明人間です。
『サイマティック・スキャン』に認識されず、『ドミネーター』にも認識されない。それすなわち『シビュラ・システム』に認識されていないということ。
となるとここで問題が発生します。最初に説明した前提、シビュラ・システムには、平等で完璧な裁きを行う完全性が要求されているという部分です。
『鹿矛囲桐斗』に犯罪を行わせている時点で、シビュラ・システムは完全ではないですよね。その為、物語前半では、シビュラ・システムは完全性を保つために、『鹿矛囲桐斗』という存在を知りながら、放置。これがサイコパス2期におけるストーリーの大部分を占めています。
シビュラが『鹿矛囲桐斗』という存在を認めず、放置している理由。それは、鹿矛囲桐斗を認める=集団的サイコパスを認めるということだからです。
集団的サイコパスを認めてしまうと、社会は秩序を乱す可能性が高くなります。個人個人がクリアな存在でも、その個人を濁す可能性のある存在がひとりでも紛れていれば、それは裁きの対象となります。連帯責任というやつですね。その未来を危惧したシビュラは鹿矛囲を放置、結論の先送りをしています。
対する鹿矛囲は、そのことを理解したうえで、「シビュラはシビュラ自身を裁くことができるのか」を問おうとしています。物語の中に出てくる『W.C』の文字は、常守に対してではなく、シビュラに対してのものだったのです。鹿矛囲は自身が裁かれることにより、シビュラ自身を裁かせようとしていました。
シビュラは、自身の完全性を保つために、鹿矛囲を裁かなければなりません。しかしそうすると、自分自身も裁かなければならなくなります『裁くことができない』存在である免罪体質者を集めたシビュラは、集団的サイコパスを導入することで、『裁ける』ようになるからです。
そして最終的にシビュラが出した結論は、集団的サイコパスという概念を導入するというもの。つまり、鹿矛囲を裁くことを選択しました。鹿矛囲は事実、何人もの人を殺し、世界を恐怖に陥れた存在です。裁かなければならないでしょう。
しかしそうなると、シビュラは自身を裁くことになります。そこでシビュラがとった行動は、犯罪係数を上昇させる要因となっている脳をシビュラシステムから廃棄することで犯罪係数を下げ、システムとして存続し、社会の安定を保つというもの。
ここで自分自身を裁くという結論を出さなかったのは、シビュラ・システムがなくなることによる被害を考えたうえでの結果だと思います。
シビュラは間違いなく大衆の正義で、常守朱は特権的な正義を持っている。互いの持つ正義を理解しているからこそ、シビュラは常守朱を排除しようとしないし、常守朱はシビュラを潰そうとはしません。だからこそ面白い、『サイコパス2期』。
個々の人間関係はもちろん、大きなストーリーとして非常に楽しめました。全てを描写せず、こうして考察の余地も残されているのが個人的に好印象です。
他にも、『東金朔夜』が後天的免罪体質者の実験体であったことや、その存在自体が『サイコパス2期』の大部分である『集団的サイコパスにおける問題点』や『個人をシビュラ以上に黒くすることでシビュラをクリアに見せる』といった皮肉かつ創造に富んだキャラクターであることも良いですね。大半がただのマザコンだと思っていましたが。

11話という短い話数のなか、1期で出来上がった『サイコパス』の土台をこれでもかと活用したストーリーになっていると思います。総合的に見ても、2期の方が面白かったと断言できます。