百済王氏とその時代フォーラムin枚方市 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

土曜日は

地元の枚方市民会館にて



百済王氏とその時代

という歴史フォーラムが行われました。

朝10時から夕方17時まで

休憩を挟みつつ

がっつりといろんな学者さんの講演。

間に


韓国の舞のコーナーなども。


市民会館大ホール埋まる?

と勝手に心配してましたが

なかなかの大盛況キラキラ


市長の挨拶などもあり

枚方の本気度がうかがえました。


というのも

この【百済王氏】というのは


奈良時代から平安時代にかけて

この枚方の地で栄えた

朝鮮半島百済の王族の末裔

百済王氏【くだらのこにきしし】なのです。


660年に朝鮮半島で百済が滅び

王族は日本へ亡命うずまき

今の大阪城あたりに住んだあと

この枚方の地へ移ってきたのでした。


そして

百済王氏が建てた百済寺の寺跡が

なんと!!

日本初の特別史跡に指定されているのです。

もう50年も前にね、、指定されてるんですよ!!


特別史跡ってね

【国が文化財保護法で指定した史跡のうち、特に価値の高さが認められたもの。国宝と同格。】


国宝と同格びっくりびっくりびっくり!!

全国に60数ヵ所しかないのです。

大阪だとあとは大阪城だけ。


そんな特別史跡の第一号が我が町枚方におねがい


そして

百済王氏がこの地に移ってきたきっかけが


百済王氏の何代目かの敬福(きょうふく)さんが

陸奥守在任中に

宮城県で我が国初の金を発見!

しかもそのタイミングが

聖武天皇が奈良に大仏を作っているとき!


大仏に鍍金する金を探してて

敬福さんが発見!

その後、河内守の役職についたことから

この河内の枚方へ移ってきたのでした。


聖武天皇から代々、、桓武天皇、嵯峨天皇に寵愛された

百済王氏。

平安時代中期頃までこの地で栄えていたそうです。


そうした百済寺跡のフォーラムということで

地元枚方の文化財課の方だけでなく

金が発見された宮城県の教育委員会の方、

古代寺院、瓦の研究者、

さらに韓国の古代寺院の学者さんまで

各種の講演が一日かけて行われたのでした。


なんかね、、

私の好きな

聖武天皇や東北ラブラブとの繋がりがね

この地にあるというご縁。

嬉しいわぁ。


講演を通して

枚方から見た奈良時代、

平安時代初期の日本、

そして朝鮮半島、


歴史の教科書で習っていたことが

地元とも繋がっているという実感。


歴史という遠い時代の別世界の話ではなく

我が町枚方、そして今の自分たちと繋がっている

そんな不思議な感覚。


ここ数年の日本各地の旅を通して

痛感していること。


歴史の積み重ねがあっての

今の自分たち。



おねがいおねがいおねがい


とても貴重な講演でした。


ってかね、、

枚方市よ

こんな素晴らしい特別史跡があるのだから

ちゃとした資料館作ってくれよーーー!


フォーラムのアンケートにも

筆圧強めに訴えを書いておきましたウインク