羽生結弦氏のスピード離婚のくだりをうけ、超久しぶりにフィギュアスケート界を覗いたので、これまでの振り返りをしてみます。

平昌五輪(2018年2月)

全ての始まりがここからでした。

シングル男子フリー、どの選手も後半は苦しそうなのに、最終滑走の宇野昌磨選手だけは最後に笑顔が。あの場面で嬉しそうな笑顔が出るなんて…と、この衝撃はちょっと忘れられません。
その後、銀メダルが確定したのに、泣き崩れているのは隣の女性コーチ(樋口コーチ)で当の本人はケロっとしていて、その不思議ちゃんっぷりにドはまりした訳です。

 

何かにハマるのはとても楽しい。

調べたがりの自分は色々と調べまくり、その期間は本当に沼ってました。

 

でも、心の中で「これはまずい」と思ってました。
あまりにもハマりすぎて、視野が狭くなってしまう。
その世界だけが、自分の全てになってしまう。

そして狭い世界は、楽しいばかりではなく、沼れば沼るほどそのジャンルの「闇」に触れざるをえない。

 

Twitterにフィギュア関連のツイートが増えましたが、タイムラインにはなるべく色んな情報を流すために、フォローを増やすのは極力控えました。

それでもハマりたてという時期は、精神的にとても高揚しているので、宇野選手主体の情報ばかり触れてしまう(五輪の写真集も購入しましたしw)。
彼は幼いころから注目を浴びていたので、情報には困りませんでしたし、それを知ることはすごく楽しいけれど、視野がどんどん狭くなるのを感じていました。

 

フィギュアスケート界は…

人気選手のグッズや雑誌はどんどん発売されるし、Yahooニュースにも、とにかく色んな記事が掲載されます。選手は若いですから、アスリートという名のアイドルを追いかけている気持ちに近いかもしれない。

 

でも、個人競技の上に競技人口が少ないので、どうしても一人の選手に対する愛が重くなりがち。チームスポーツの様に分散できない。
愛が重くなると、自分の精神面をその選手が大きく占めることになり、客観的な視点が抜けてしまう。

 

2019年の世界選手権。
久しぶりの羽生結弦氏の試合参加ということで、彼のファンたちはお馴染み「くまのプーさん」シャワーとして、ぬいぐるみを大量にスケートリンクに投げ込んでしまいました。
競技人口が多く、ライバルの多いスポーツなら、過剰すぎるファンの応援には、大きな批判の声があがるはずですが、羽生ファンがフィギュアファンの過半数を占めているこの状況では、そんな声は梨のつぶてでした。

 

宇野昌磨選手に対しては、すごく好感を持っているし、「推し活」するには何の問題も無い。
でも、フィギュアファン(男子シングル)というのは、一人の選手だけが良くて、他の選手に対するリスペクトがないスポーツなんだと悟り、なるべく早い段階で見切りをつけなければならない、と思いました。


自分が、精神的に深く狭い沼に沈みつつある以上、この現実からは逃げられない。

一人の選手だけが良ければいい競技で、よりによって(男子シングルフィギュアファンの中で)「その他大勢」の方に心を掴まれてしまった訳ですから。

(※表現が過激ぎみですが、自分が受けた印象は上記そのものなので、そのまま書きました)

 

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

フィギュアスケートは、狭く深い沼にハマっている人がとても多い。
それは別にどのジャンルでもあることなのですが、

正直に言いますと
羽生結弦氏の神格化がとにかくすさまじい。

 

かつて高橋大輔ファンが、新しく台頭してきた彼にバッシングをしたことで、

「心無いファンや週刊誌などから冷たい仕打ちを受けながらも、健気に頑張る姿を守らねば」スタイルで、「病気やけがなど様々な困難を乗り越え、歴史的に残る結果を出し、且つ人格も優れた人物」「世界的なスターで全世界にファンがおり、日本の国の宝」扱い。

(アスリートとしての結果は、まさにその通りですがね)

そんな誰よりも優れた健気な選手を「守る」「唯一絶対正義」の為に、彼の障壁と判断されるものを攻撃する。

羽生氏に勝った選手に対しては勿論、羽生氏が「氷の状況が良くなかった」といえば、運営側などに猛烈なバッシング、彼の演技の結果についての批評も、良くないことが少しでも書いてあればバッシング、いつかの世界選手権で、故デニス・テン氏と衝突しかけた時も、テン氏を総攻撃したんでしたっけ。
ヤフコメなんかは称賛の嵐で、たまに批判的な意見が書き込まれようなら、全力でbadボタンが押されるという。
羽生結弦氏には、称賛の言葉しか許されません。

 

けれど、一番恐ろしいのは、
自分もそのメンタルにほぼ同じものを持っていること。
想定以上に深く入り込んでいる自分が、そうならない保証はどこにもない。

あれこれ考えるのが好きな自分が、その方向に突き進むと多分に止まらない。

宇野昌磨選手を「守る」為に、「正義」という名の攻撃に突っ走ってしまう。

「その他大勢組」「じゃない方」だと十分承知しているからこそ、歪んだ反骨心が出てしまう。

世界選手権のこともあります。
なるべく早く、この界隈から離れるべきなのは明白。
ズブズブと沼に沈みながら、自分はその時期を伺っていました。

 

離れるきっかけ

そもそも、自分が一人の人間にハマる時というのは
「平凡な人間が社会を平穏に生きていくにあたって、該当人物の生き方で何かヒントを得る」ことが多い。
単に、答えの無い考察をするのが好きなんですね。

自己満足以外何でもありません。

五輪から1年以上経過していますし、そろそろ宇野昌磨選手から、自分は何を得たのか、自分なりに答えを出さねばなりません。
それを自分で納得できるだけの答えを出した後…2019-2020新シーズンが始まり、彼は突如樋口コーチからの卒業を発表、「コーチ無し」というとんでもない状況で試合に挑んでいきました。

で、結果は言わずもがな(GPシリーズフランス杯8位)。
ピーク時期が短いスポーツで何故こんな愚かなことをしたのか、と彼に幻滅した自分に気付いたとき、「今だ」とフィギュアスケートから離れました。

 

精神的にどっぷりつかっていたので、抜け出すのは結構大変でした。
でも、抜け出さなければならなかった。
そしてそれは正解でした。