自分は確かな恩恵を受けながら、社会にずっと違和感を感じていた。
思春期以降、常に感じていた生きづらさのようなもの、その正体が言語化された気がする。
生理的に受け付けない感覚が働いたとき、確かに社会に対して疑問を持ったのだ。
あの時にもっと、きちんと考えるべきだった。
後から後から、次々に疑問が浮かび、その度に心の奥底に沈めてきたが、何が自分にとって幸せなのだろうという疑問だけは、いつまでも残った。
高度経済成長期に子供時代を過ごした私は、経済的豊かさが幸せを意味する社会に同調することが出来なかった。
親も、子供のそんな問いに向き合ってくれるとは思えなかったので、問いかけた覚えはない。
当時の私には、そういうことを問える大人が居なかった。
多くの本を読み、人に会って、突き詰めて考えるべきだったのに、当時の私は、幼すぎた。
その後は、疑問に感じることも、受け入れなければいけないことだと言い聞かせ、問いに蓋をしてきた。
決して表面に出さず、必死でその場その場に合わせるよう心を砕いた。
そうして自らの思考を停止に導いたのだ。
本能を押さえ込むことには、かなりの苦痛を伴っい、よくバランスを崩した。
しかし、それでも、長い訓練により、本能が顔を出すと、それを押さえる癖がついていた。
決して自分を解放してやることができなかった。
その後、経済的には不自由なく生活してきた。
しかし人生にどれだけの幸せを感じられただろう。
不幸だとは言わない。
でも本当なら、
もっともっと、本能で生を謳歌することができたのかもしれない。
思春期以降、常に感じていた生きづらさのようなもの、その正体が言語化された気がする。
生理的に受け付けない感覚が働いたとき、確かに社会に対して疑問を持ったのだ。
あの時にもっと、きちんと考えるべきだった。
後から後から、次々に疑問が浮かび、その度に心の奥底に沈めてきたが、何が自分にとって幸せなのだろうという疑問だけは、いつまでも残った。
高度経済成長期に子供時代を過ごした私は、経済的豊かさが幸せを意味する社会に同調することが出来なかった。
親も、子供のそんな問いに向き合ってくれるとは思えなかったので、問いかけた覚えはない。
当時の私には、そういうことを問える大人が居なかった。
多くの本を読み、人に会って、突き詰めて考えるべきだったのに、当時の私は、幼すぎた。
その後は、疑問に感じることも、受け入れなければいけないことだと言い聞かせ、問いに蓋をしてきた。
決して表面に出さず、必死でその場その場に合わせるよう心を砕いた。
そうして自らの思考を停止に導いたのだ。
本能を押さえ込むことには、かなりの苦痛を伴っい、よくバランスを崩した。
しかし、それでも、長い訓練により、本能が顔を出すと、それを押さえる癖がついていた。
決して自分を解放してやることができなかった。
その後、経済的には不自由なく生活してきた。
しかし人生にどれだけの幸せを感じられただろう。
不幸だとは言わない。
でも本当なら、
もっともっと、本能で生を謳歌することができたのかもしれない。