学校が共存のための「ザ・システム」として必要だということには、

(本当は、そのシステムが「学校」とは別の場所で、多様な集団で機能しても良いはずだが、)

一応納得したことにしよう。

しかし

だとしたら、さらにその雑でつまらない単一のレイヤーに押し込める時間が増え

より一層圧力が強まるのは危険だ。

その中で子供は、今以上にバランスをとるのが難しくなるだろう。

今だって内部の大人は、そのバランスを認識していない。

学校が無意識の匿名化社会システムであることを望む人もいるだろう。

でも個人の領域を確保することができなければ

ロボット人間だけが生き残ることになる・・?

グローバル、多様性の時代に、これ以上人間を画一化してどうする?


いじめ基本法ができても、規制には必ず抜け穴がある。

土曜授業が復活しても、平日の負担が減ることはないだろう。

時間が長くなれば、学校は託児所化するだけだ。

授業中じっと座ってもいられない低学年の集中力が持つはずがない。

5時間中、何コマ勉強したといえるか、いい加減なものだ。

先生に力量があれば、ゆとり教育も成功したかもしれない。

でも、クラスの生徒全員の興味を引くことは簡単ではない。難しいだろう

マニュアルどおりの先生を教育しても

子どもはマニュアルどおりにはいかない。

わかっていらっしゃるのかしら・・・教育行政に携わる方たちは


単に学校が子供を押し込めておくところなら

ただの檻に過ぎないではないか