仕事を始めてから、といっても週に2日、しかも半日なのに
オフの日も、本を広げてパソコンの前に座り、
教案作成に多大な時間を費やしていました。
毎日お仕事をされている方から見れば、
検索ひとつでたくさんの教案や動画があふれている今、そんなに時間かけなくても…
と思われるかもしれません。
厳しい実習を課す養成校もあるようですが、
ほとんど白紙状態だった私には
いくら時間をかけても十分と言うことはありませんでした。
要領が悪いのも確かです。

最初の頃は、先生方がお互いを「○○先生」と呼ぶことにも慣れることができませんでした。
「先生」と呼ばれる職業に尊敬できる人がいなかったせいでしょうか。
でも今は、それも<お互いの距離を保つため>と考え、納得。

毎回教案を見ていただいた先生には、休みの日や夜遅い時間にもご連絡をいただき、
申し訳ないやら、恥ずかしいやら…
もう提出しなくてよいと言われたのも、おそらくは
新人が後につかえているから、もう面倒見切れません
ということだと
わかっているので甘えることもできず…
読めば何度でも訂正したくなる教案を前に、今日もパソコンの前
という日々を繰り返し、1年余りが過ぎました。

毎学期、いろいろな先生と組ませてもらったお蔭で、
それぞれの先生のやり方を真似たり、参考にすることができ、感謝しています。
そして、スタイルや方法については、
寧ろそれぞれの先生が少しずつ違っていていいのだと思えました。
どの先生も同じようにやっているわけではないけど
それぞれが良いと思ってしていることだから。
私も、教わったことを自分の判断で取り入れたり変えたりしていけばいいのかな、と。

どんな指導や主張にも、根拠となる考えがあってのこと
と思えたのは、新人だからこそ、でしょうか。
中には、他のやり方を否定する先生もいらっしゃいます。

でも、傍から見ていると、
「この先生は中級が長いからこう考えるのかも。初級の段階では必要ではないかな」
「この先生は、中級を持つようになったら考えが変わるのかもしれないな」
などと感じることがあります。
それは、色々な先生に会って、いろいろな話を聞いてきたからだと思います。
長年の経験を持つ先生や、教授法で教わった先生が、皆同じことを言うわけではありません。
もちろん、教える相手の状況や立場も違うということもあるでしょう。
教授法の先生はよく、「こうした方がいい」と言い切ったけれど、
英語話者に大学で教えていた先生のやり方は、今の日本語学校には合わないでしょう。
経験を重ねても、柔軟さを失わずにいたいものです。

クラスや組む先生が変わると、勝手が違ってやりにくいこともあります。
余りにもいろいろな先生がいるので、中にはその…疑問に思えることも出てきて、
それでも合わせざるを得ない状況が苦痛だったりはしますが、
その中で自分ができることを、やっていくしかありません。

そう思えるのも、<教授法以外に教わったこと>のお蔭かもしれません。
教える技量が十分でないとしても、
私にもできることがあると思えるから。
そして何より、この仕事は社会に必要だと思っているから。

今、学生が増え、クラスが増えて、どの先生も授業が増えて忙しそうです。
皆さんパワーがあるなぁと、感嘆してしまいます。
そんなエネルギー、私にはありません。

一方で、省エネモードの方もいらっしゃいます。
日本の学校・先生を見て、いつも思っていたけれど、
『楽しようと思ったら、いくらでも手を抜ける仕事』
ですよね、先生って。

未熟者としては、
くだらないブログを書くより、たくさんのブログを読むほうが勉強になるので、
今後、私が授業について言うことはありません。

教える知識とかテクニック以上に私が気になって仕方ないのが、
学生自身の生活状況です。
学費納入のため、生活のため、アルバイトに疲れ、生活に疲れ、勉強は後回し
大勢で雑魚寝で暮らしている子もいると聞きました。
とても勉強する環境とは思えません。
それでも働いて、高い学費を納めて専門学校に入る。
そんな彼らに未来はあるのでしょうか。

この人たち、だまされて日本に来たわけじゃないよね?!
実はわたし、彼らから搾取することの片棒を担いでいるのでは?!
と本気で心配している今日この頃、です。

聞きたいことは山ほどあるから、学生に勉強してもらって話を聞きたい
というのが、今の正直な気持ちです。