今さら何故、子育て本を読んでいるのだろう
もう遅いのに
やはり子どもの問題行動は親の責任なのだと、
自分の育てかたが間違っていたのだと、
いつまで反省し続けるのだろう

いろんな人が本の中で、或いは直接
いろんなことを言ってくれたけれど、
じゃあ具体的にどうすれば良かったのか
よくわからなかった
けれど
受容について解りやすく言葉で説明してもらい
そういうことかと
ストンと落ちた感じだ
自分でも感じていた相互理解のための言語の大切さ
気持ちを受け止めるということは、
すなわち気持ちを言語化して理解を示すことなのだと

折しも平木典子氏の講演で同じようなことを聞き、
もっと早く聞いていたら
と思わずにはいられなかった
それでも
アサーションという考え方が始まったのは1990年代に入ってから、というのから
こうした考え方がされるようになったのも、
ごく最近のことなのだろう
子育てのモデルは、それぞれの親だけなのだと思えば
虐待の連鎖も
体罰というしつけがなくならないのも
よいこだった母が、我が子をよいこに育ててしまっても
無理はないのだ

問題なく、というより
問題と認識されることがなかったのは
親がしっかりしつけたから、では決してないのだ

子どもは泣くもの
子どもは未熟なもの
という共通認識が広まったらどんなにいいだろう
ハード面でどんなに便利になるよりも
きっと子育てが楽で楽しいものになるに違いない

でも
まだまだ
挫折や屈辱の体験から導き出された経験談のほうが優勢の
この村社会では
実際かなり難しいだろう


最終章で紹介された『無痛文明論』(森岡正博)も興味深い
子どもを大事にし過ぎた
結果
自分と同じ
ストレス耐性が低く、打たれ弱い人間にしてしまった
子育てのゴールは『自立』だという言葉による認識を持ってから
子どものことをだいぶ冷静に考えられるようになった
ヒトは
せっかく言語を獲得したのだから
もっともっと言語を使いこなして
進化することができるのではないだろうか