私は一番の趣味として「写真撮影」がある。


「趣味は写真です」と言いたいがために始めたが

一眼レフを買い、半年たった今では、これ以上にない

趣味となっている。


写真撮影の楽しみは、

①機材を揃える楽しみ

②撮影する楽しみ

③人に感動を与えることができる楽しみ

この3つがある。


①は②③があるからこその楽しみである。


如何にすればいい写真になるかと思考しながら

撮っているときに楽しみがこみ上げる。


「いい写真が撮れた」もしくは

「ここは失敗だな、次はこう撮ってみよう」

と思考し、私が良いと思った写真は、インターネットに公開する。


インターネットがあるからこそ、私の写真ライフが

充実しているように思う。


もうすぐ新しいレンズが届く予定である。


この先、ファインダーを通してどんな世界を見ることができるか

考えただけで、楽しくてしかたない。



私は、個性というものを大事にしている。


個性というものは人それぞれで、喋り方や、

雰囲気に個性は表れ、その人を形成している。



最近では、「KY」という言葉が流行り、

人と違う格好、行動をすれば、KYと言われるのではないかと

怖がり、横並び意識が広がっている。


流行語して報道され、それを見た人はその言葉を

悪意のある言葉と気付かずに使う。


浮いた服装をすればKY、浮いた行動をすればKY。

KYと言われた人は、嫌な思いしかしない状況が

今の社会にはある。


個性は失われ、自由な発想の妨げになっているに違いない。


KYなどという言葉は一時の流行で、すぐに消え去っていくに

違いないだろうが、失われた個性は簡単には戻ってこないのでは

ないだろうか。



個性、また美しき日本語を失ってはいけない。






人は、必ずと言っていいほど「コンプレックス」を持っている。


自分は完璧な人間で、弱点なんて一つもない、って人間はつまらない。


私は数えだすとキリがないくらいにコンプレックスを持っている。

それらのひとつひとつは人から見れば、些細なものかもしれない。

しかし、私はそれらひとつひとつに本気で悩み、改善できるものならしたいと

常々考える。


ただ、時に思う。


人が抱える弱み(コンプレックス)は真の意味で、

人の気持ちを理解することができる強みではないかと。


例えば、身長が低いことに悩んでいる人がいるとして、

身長が高い人に、その悩みがわかるでしょうか?


きっと、同じ悩みを持っている人ならば、その人の悩みを理解することができると思う。


上記のように、コンプレックスというものは、同じコンプレックスを

持つ人でないと、その悩みを理解できないと思う。


逆に言えば、コンプレックスを持っているということは、同じ悩みを持つ人の

気持ちを理解することができるのではないか。


コンプレックスが多い人ほど、沢山の人の悩みを理解することができ、

沢山の人の救いとなるような人であると思う。



弱さを持つことは、悪いことばかりじゃない。