街角の募金活動
コンビニのレジ横
募金企画のテレビ番組。
なにか、もやっとしていました。
資金調達後の…
『不透明な使用明細』に。
常にあるのは
●●の村に学校を作りました!
井戸を掘りました!
子供たちに●●を届けました!
そして
捨てられた犬猫を助けてください
↓
この度はありがとうございました。
途中経過は?
集まった資金は具体的に
ドコでダレがナニに使ったの?
募金活動自体に反感があるのではありません。
むしろ自分も見かけると募金をする側の人間
それでも、いつも
心にモヤっとしたものがありました。
本当に皆から集まったお金を
『目的の為だけに使ってるのだろうか』
例えば●●国の貧しい村に学校を作るという話を例にあげるなら
村の視察、現地民の協力、国内で分野毎のプロフェッショナル(先生と呼ばれる方々)と度重なるミーティング、建設にかかる資材運搬等
ざっとかかりそうな費用の項目。
視察…
本当に最低限の人数と必要なスタッフだけで海外に行ってますか?働く訳でもないのに役職の人が付いてきたり、夜は現地の街でそこそこいいホテルをとり、飲み食いしてませんか?
皆から集めた募金(予算)で。
ミーティング…
各分野の先生がきてるわけだし、それなりにお呼びするのにお金はかかるもの。仕事で来てるのだから当然とも言えるし、接待費はどこにでもあること。
それでも、ミーティング以外にもキャバクラや料亭やら、
おおよそ募金という皆からの『善意で集めたお金』でやることではない。
ミーティングに出るお茶や弁当以外に絶対このような接待がなかったと言えますか?
資材や運搬に関しても
安いところから調達するでもなく、暗黙の了解で
●●から資材は買うことになっている
●●に運送依頼することになっている
など、絶対ないと言えますか?
この日本という現代社会で
小さな町ですら、町長が新しく道路を工事するとなると
決まって●●建設に依頼するなんてザラな話です。
公務員である市役所の役員が●千万円横領していた
政治家が●億円使い込んだ
などキリがないほどニュースで見かけます。
権力と癒着は
切っても切り離せない体質が強い。
そんなこと無い!という方が無理とゆーもの。
このように
募金活動に対して同じように考えてしまうのも
常に募金を募る広告と
募金の合計金額と実施した結果のみで
募金で集めた資金
その運用の明細書を今までの人生において
一度も見たことは無いのです。
その団体に言えば出してくれるのかも知れません
ポスターに明細書を書くスペースがない
忘れてた、必要ないと思った…etc
と、いくらでも返答は返ってくると思います。
ポスターの隅にでも2㎝のQRコードがあれば
膨大な明細書が記載されてるサイトに飛べば済むと思いませんか?
それならスペースも不要で誰でもいつでも見ることが出来ます。
まあ、それもリアルタイムの支出ではないので
一般向けの報告用に『改算やら捏造した明細書』かも知れませんが。
そもそも、募金をしてくれた人達への誠意があれば
明細書をむしろ見て欲しいと思うのが自然ではないでしょうか?
子供の頃を思い出して下さい。
親に頼まれた買い物を渡す時に
(お釣とレシート)を渡しますよね?
それはきっと
ちゃんと頼まれたお買い物をしたよ!と
『純粋』に
目的を達成した事を親にアピールしたかったからだったはずです。
では逆に、子供がお釣欲しさにお釣を誤魔化した時
その子供はレシートを渡せるでしょうか?
きっと『無くした』と子供ながら精一杯の嘘を言うでしょう。
一人一人の個人では達成できない願いを
一つに集め、その者に代行してもらう。
募金とは本来
先程の子供のように
『純粋なモノでなくてはならない』
と思うんです。
ここまで疑っておいて、私に純粋もなにもないのですがWW
世の中にあまりに不正が横行し、
社会人になっても子供のように理不尽な人間がいる印象があります。
皆さんの周りにはいないでしょうか?
なので
・現在の合計(残高)金額
・ドコにナニをいくら使ったか
・関連スケジュールなど
誰でも気軽に募金の現状を確認できて
自分が協力した募金が、実際どのように使われているのか
そして、それに対して的を経た意見が皆さんから上がれば投影するなど
そんな
『ガラス越しの募金運用スタイル』
があればいいのにと思ったのが
『コルクベリーで犬猫保護を支援しよう』のはじまりです。
twitter@kooohwave
