【リバティ9月号】


こんにちは。

バーテンダー遠藤です。


前回 ラム、特にキューバについて書かせていただきました。

今回はキューバに滞在し名作を書き上げた文豪ヘミングウェイについてお話したいと思います。



アーネスト・ヘミングウェイ…
1899年7月21日にアメリカはシカゴ郊外で生まれ、1940年~1960年までキューバに移住。


アメリカでは【日はまた昇る】などを書き上げ、キューバでは【海流の中の島々】や【老人と海】を書き、ピュリッツァー賞、ノーベル文学賞を受賞しました。

読書好きのみならず、バーテンダーにとっても とても縁のある作者の一人です。
このヘミングウェイ、とにかく飲みます。
どこ行っても飲むし、ヘミングウェイ作と言われるカクテルも多く、また自身の作品にもカクテルが登場します。

どんだけ酒好きなのかはともかく…

キューバでは、文豪ヘミングウェイは毎晩のようにバー エル・フロリディータに通いバーテンダー コンスタンテとの会話から生まれたフローズンダイキリをダブルで12杯、帰り道で飲むために同じ量を水筒に入れて持ち帰ったそうです。

ヘミングウェイは昼は釣りを楽しみ、夜はバーでフローズンダイキリを飲む。そんなのんびりした日々を過ごしたそうです。

キューバの人達からも気さくで陽気な酒豪は、パパヘミングウェイと呼ばれ愛されていました。

フローズンダイキリについて【海流の中の島々】の主人公に語らせています。
「緑が白くなった重いグラスを持ち上げ、氷が固まって雪のようになったその下の透明な部分を見ていると、海を思い出した。氷の固まった部分は船の航跡、澄んだ部分は、底が泥灰土の浅い海で艇首が切る水、そっくりの色だった。」

…しかし、キューバで生活していたヘミングウェイにとって、本当は人生で一番苦しい時期だったそうです。

当時ヘミングウェイは10年間まったく書けないスランプだったそうです。
表現者にとって創作ができない状態は本当に苦しく、自分自身の存在すら疑ってしまうものです。

しかしヘミングウェイは10年のスランプから立ち上がり【老人と海】を書き、ピュリッツァー賞、ノーベル文学賞を受賞し復活しました。
バーテンダーとしては、フローズンダイキリ(パパダイキリ)がヘミングウェイの復活を助けたと信じています。
カクテル一つでも、気持ちによって感じ方も違います。
それにバーにはバーテンダーがいます、飲み仲間がいます。


バーテンダーとキューバの仲間の友情、そして自分自身の魂が、自分の可能性を諦めさせなかった。
僕はそう思います。



【老人と海】の中にこんな言葉があります。

「人間は負けるように造られてはいない。
人間は殺されるかもしれないけど…負けはしない。」

ヘミングウェイが10年の旅の果てに見つけた答えはそれなのかもしれません。



カクテルグラスパパダイキリ(ヘミングウェイダイキリ)カクテルグラス


・ラム(バカルディもしくはバナナクラブ)×110ml

・ライムジュース×2個分

・グレープフルーツジュース×1/2個分

・マラスキーノ×6滴