いつの時代も 正邪が分かれ
てるおですけど、何か?
終戦日の今日の事を、日本の教育では、
子供達にどう教えているのだろうか?
戦争が終わった記念日です…だったり、
玉音放送によって、ポツダム宣言の受諾が国民に知らされた日…だったり、
例えば広島(8月6日)や長崎(8月9日)では夏休みにも拘らず登校し、
平和祈念式典をみんなで見て、平和について考える。
しかし、他の地域ではそこまでやってなかったり…同じ日本なのに。
恥ずかしながら、わしも広島に来るまでは、
それほど気にしていなかった。気にしているつもりではいたが。
わしが小学生の時の低学年の担任のA先生が
教室に、戦争についての4、5冊セットの図鑑?写真集?を並べてくれていた。
それは大人が見るような本だったので、●焦げになったご遺体の写真が
当たり前のように写っていた。
ある日、
その本の男性のご遺体を観ながら、ちょっと小ばかにしてる集団があった。
先生は、「そうやってふざけながら見るものじゃない!」と一喝したが、
その後、涙ながらに、戦争の事を真剣に語ってくれた。
「何で泣いてるんだろう?」ってその当時は不思議だったが、
それ以降わしらのクラスでは「戦争」って軽々しく扱う事ではないと認識した。
ネット社会になるまで、子供にとって、教科書や参考書が全てであった。
ある意味、偏った教育が可能だった訳だ。
しかし現在、様々な情報が開示された時代となり、
いろんな角度から語られるようになった。
そこには、今まで習ってきた「戦争」ではない『戦争』が沢山あった。
当たり前だが…日本から見た戦争と、世界から見た戦争だけでも
大きく表現が異なる。
そして、語られている事案と、今まで語ってはいけなかった事案があったり…
…
日本の為に戦って亡くなった方々の中にも、様々居た訳で、
憎っくき敵国!という目線で敵国民を殲滅したる!と撃ちまくった人。
命令に従わないと「非国民」と叩かれ家族まで非難される為、撃ちたくない
敵兵を撃たなければいけなかった…と言う人。
…
戦争は関わった国も国民も、関わらなかった国や国民にも良いことが無い。
これは揺るがない事実である。
未だに争いを続けている国がある。
ミサイルを撃ち続けている国がある。
どれだけ愚かな事か、まだ気づいていない。
195か国の全てが同じ価値観になる訳が無い。
正邪も国によって違う。宗教観も違う。当たり前だ。
資源がある国と、資源が無い国があるのも当たり前だし。
「君のところはそうなんだ~へぇ~、うちらはこうだよ」
「凸と凹を補って生きていこうぜ~!」
で良くね?
過去を忘れ、全て許すという事ではなく、過去の経験の上に、未来を築くしかない。
過去の経験を活かして未来に希望を…。
その為に全てを終わらせた「8月15日」がある。
今一度、日本に生まれた意味や、日本人としての役割を深く理解し、
世界に臆することなく、平和を訴えていかなきゃなと。


