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まるで暖色に光の降る様だった。華やかな大通りはライトやキャンドルに溢れ、ベルの音がそこかしこで輝いている。
暖かなコートとマフラーに包まれた人々は、ブーツで薄く積もった雪を踏みしめながら 家路を急いだ。
刺すような冷たさは肌を、目を、息を凍えさせ、 しかし気温だけでない暖灯が街を冬の寒さから掬い上げている。
雪のちらつく中、神の子の生まれた今日は聖誕祭であった。
皆々この夜、家族の待つ暖かい家へと静かに早く歩いていた。
アリエノーレも例に漏れず、母親に頼まれたケーキと少しばかり家族を笑顔にするための花を持っていた。
花束というわけにもいかない苗の花だが、神の子の生まれた際喜んだ天使達が冬の庭一面に咲かせたというこの花は、雪のように白く可憐であった。
庭に植えよう、と提案すれば、嬉しそうに笑う家族が浮かび、アリエノーレは薄い紫のマフラーで隠れた口許を小さく綻ばせた。
自然と急く。街灯の照らす石畳みの大通りを時計台へ向けて進む。そこは上り坂で広い階段になっている。上まで登り切れば大通りを見下ろせ、その大通りの中心の広場にある大きな噴水も、静謐なイルミネーションでさぞ幻想的であろう。
アリエノーレはケーキと苗鉢を抱え直し、ついでに学業に必要なテキストのはいる鞄も持ち直し、一歩一歩ゆっくりとあがっていった。
登りながら、不意に夜空を仰ぎ見た。
ふわりふわりと散る雪はグレーの空に輪郭が滲み、雪空さえ黒や白へ斑に色をもっている。
底冷えする街の真ん中で、じわりと虚しさがアリエノーレに染み渡る。
まるで大事な何かに取り残されているような。
なにを、と思う。家族がある。友人がある。花を見せようと思う相手がいて、虚無を抱える要素がないと、アリエノーレは首を振る。
小さく息を吐いた。息は白くパリの宵に消える。
ただなんとなく、この抱える花は、違う誰かが似合う気がするのだ。
雪が瞼の上に落ち目を顰めた。そろそろ階段も終わるだろう。登りきった踊り場から街を見下ろそう。そうすれば美しい暖色に焦燥感も溶けてゆくはずだ。
「ーーーっ!!」
滲み出した思考は何か叫ぶ音を拾ったが、明確に意味を理解することはなかった。
数拍後、その音が「危ない」 と言ったと理解しだしたときには、アリエノーレの視界に真っ白な花が夜空を飛んでいた。
「さいってい!ひとにあたるとこだったじゃない!」
「お前が約束破ったからだろ?!」
「それとこれとは別だよ!」
遠くで男女らしき言い争いが聞こえた。
とくに避けることもしなかったが、二歩と離れていない場所にそれは潰れて落ちた。
がしゃりと文字通りひしゃげたそれは、柔らかい土と根がクラフト紙の袋からはみ出し、鉢だったのだろう赤茶の陶器の破片が見えている。
そしてふわりと、先ほど宙を舞っていた白い花がアリエノーレの足元へ落ちた。
「ごめんなさい!あぶないから、うごかないでっ」
「おい!まだ話が」
「わかったから後にして!」
この鉢から落ちたのだろうか、と考えながら足元の花と袋を交互に見ていると、頭上から軽いブーツの音と焦ったような声が聞こえた。口論をしていた声だ、とおもい、面倒ごとに巻き込まれるのは御免なんだが、と口の中で舌を打ったアリエノーレがゆっくりと顔をあげたとき、ふわりと頬に触れる指があった。
お互いにそんなつもりはなかったのだ。
アリエノーレは億劫で、もう一人は怪我を負わせたかと焦っていた。片方は渋々だが、たがいに相手を認識しようとした。
雪の降る石階段で2人は初めて出会った。事実はそれだけだった。
「ヴァル!おい!何してんだ!」
ヴァル、と呼ばれた少年(その名が一般的な短縮名であるならばそれは男性名だからだ)は先ほどまで言い争っていた男に乱暴に肩を引かれ、自分が今何をしていたのか分からなかった。
きっと相手もそうなのだろう、先程まで瞬きを忘れていたかのように盛んに目を瞬かせ、今自分が何をしていたのか思考が追いついていないようだった。
はたから見ても、特に二人の間には数拍の間以外何もなく、ヴァルと呼ばれた少年がアリエノーレの頬に触れただけだった。
ただそれだけだった。
「おい、ヴァル..、おい?泣いてんのか?」
男が強引にヴァルを自分に振り向かせれば、ヴァルは大きく開いた目から溢れる涙を拭いもせずにいた。アリエノーレもその涙を見ていた筈だが、その時のアリエノーレはそのことが分からなかった。
ただ冷たい指先と、ヴァルの薄い緑の瞳や、ヴァルの唇に落ちた雪が溶けていく様をいやに鮮明に覚えていた。
「おい、泣くほどおこっちゃいねえだろ、」
「いい、これはかんけいない、」
「怒鳴って悪かったって」
「本当にもういいから」
ヴァルが狼狽する男をはねつけ、ばっとアリエノーレへ体ごと振り返った。
階段二段分ほど上から見下ろすヴァルは、近くで見ても少年にしては小柄だとわかった。雪のようなマーメイドホワイトのショートボブが雪風に揺れ、象牙の肌に混じる。
額に生えた一対の触覚に似た角で同タイプだと分かったが、雪のような虫がいたのか、とアリエノーレは首を傾げたくなった。
「けが、」
「..、?」
「切ったりとか、してない?いたく、ない?」
泣きながら堂々と聞いてくるものだから、アリエノーレも一瞬言葉がでなくなったため、ええ、おかげさまで、と少し曖昧な返事をしてしまった。
そう、と短く首を傾げたヴァルが、手を伸ばそうとした。
「もういいだろ、いくぞ!」
「ちょっ、」
伸ばした反対の腕を男に引かれ、ヴァルが崩した体勢のまま無理矢理に階段をのぼらされていった。
「やめて、きょうは」
「約束しただろうが!」
「おねがいだから..っ」
男にひきづられるようにヴァルが石階段を登る。ジャケットの上からでも分かる細い体は簡単に引き上げられ抵抗に値しない。
ヴァルの顔が苦しく揺れた。
すがるような瞳がアリエノーレを捉えたのと、アリエノーレがヴァルの手を引いたのは、どちらが先か分からなかった。
「!、なにを、」
「嫌がっています」
「はあ?!お前は関係ないだろ?」
「だから、嫌がっています」
彼が、と腕の中に収めた小さな少年を示す。
彼というべきか迷った。腕の中の彼はなにか、性の判別ができかねた。
少年というには淡く、少女と呼ぶには強く思う。
「無理強いしては可哀想でしょう」
アリエノーレの凛とした声が石階段に響く。彼の声は強者にいわく、ひとの上に立つものの強さを持っていた。
青味がかった瞳が光彩を放って強く訴える。
その様を、間抜けとすらとれる唖然とした顔でヴァルがみあげていた。
「あの、」
「嫌じゃないなら離して差し上げますが」
「え、あ、うんと、えと、?」
「はっきり言いなさい」
「あ、いやじゃない、です、」
「..おや、意外に」
残念、と心の底から呟きながら、アリエノーレが腕から押し出す様にヴァルを離すと、至極慌てたように、ヴァルがアリエノーレの手を握った。
「そういう意味じゃ、なくて!」
再び泣きそうな顔をしたヴァルがぎゅっと握った手に力を込めた。
「そうじゃなくて、」
くしゃりと歪んだ顔は先ほどの印象より幼く見え、アリエノーレはその顔に懐かしささえ感じ、はていつだっただろうと過去を思うが答えはない。
アリエノーレの手袋越しにヴァルの細く冷たい指が絡んだ。
「そうじゃなくて」
「そういうことか、ヴァル」
不意に湧いた声にヴァルとアリエノーレが同時に視線をやる、正直に言えばすっかり忘れていたが、 忘れられていた男は先ほどの怒りはどこへ行ったのか、一転呆れたような冷めた顔で二人をみていた。
「その綺麗なお兄ちゃんが今日の相手か?」
「っ」
「そのお兄ちゃんができたから俺はもういらないって?呆れたもんだな、いやさすが?俺はお前より繊細だから帰ってママに慰めてもらうわ」
「だからそうじゃなくて」
「黙れビッチ」
くたばれ、と男が潰れた花の苗を踏み、崩れた鉢の破片がさらに粉々になる音が響いた。
ガンと鈍い音がした。
「いい、いいの」
「あんなこと言わせておくんですか」
「それだけのことしてる」
アリエノーレの踵が男の鳩尾を狙ったが腕を伸ばしたヴァルによって石階段を削って落ちるにとどまった。
ふん、と苛烈なスラングを吐き捨てながらもう一度花を踏んで男が背を向け階段を登っていく。
ヴァルはその背中に唇を噛み締めた。
「その花」
アリエノーレが未だ唇を噛むヴァルに小さく問うと、ああ、と足元の踏まれた苗を眺めながら思い出したように呟いた。
「おばさんが、ううん、今日からおかあさんなんだけどね、どうしても皆でごはんがたべたいっていうから」
ヴァルが屈んで苗の土を指先で摘み、傍に落ちた白い花を掬う。
「この花、クリスマスローズっていうんだって。クリスマスの花、きょうのお祝いに、てんしが咲かせたんだって、おかあさんがいってたから」
プレゼントにしようとおもったんだけど、とヴァルが苦笑した。にあわないことしたからかなあと零すヴァルの笑顔は何かを諦めたようだった。
俯いていたヴァルが、風の流れが変わった気がして顔をあげると、目の前に視線を同じにしたアリエノーレがいた。
「おにいさん?」
「私のお願いに対する代金ということで、受け取っていただけますか」
「?なにを、」
「茶々をいれた無礼の代金でも結構ですが」
訝しむヴァルの手へ、アリエノーレが抱えていた包みを持たせた。それは袋の見た目も同じく、ヴァルの捨てられたものと同じクリスマスローズ。
「うそ」
「偶然ですが」
「うそ、もらえないよ、だって、あなたも」
「私の庭にも咲いています、それに」
アリエノーレがヴァルの指から落ちた白い花を掬いとり、ヴァルの頭へ花飾りのように近づける。
「少なくとも私より似合います」
ヴァルが瞬きを数度。意味を理解すると、ふわりと照れたようにはにかんだ。
少女のように柔らかく、花のように綻ぶように。
アリエノーレは自分の心臓の音を聞いた。
「どこかで」
「え?」
「どこかで、お会いしましたか?」
しまった、とアリエノーレが思った時には遅く、思わず口をついてしまった独り言は今の二人の距離で聞こえぬ筈もなく。
「それ、ナンパ?」
くすくすとヴァルが笑うと、失言だったとアリエノーレが眉をしかめて咳払いし、その様子に更にヴァルが笑う。
ゴーン、と時計の金が響いた。
「あ、行かなきゃ」
「ああ、なら、最後に一つだけお願いを」
「うん、お礼もしたいし、なんでもどうぞ」
お互い立ち上がる。ヴァルは腕にクリスマスローズを抱えて。
「貴方のお名前をお聞きしても?」
ヴァルが首を傾げたのち、ふわりと笑った。
「あのね」
ふわ、と肩にかかる重さと頬に緩やかな風を感じてすぐ、柔らかな感触。ついでちゅっ、という鳥のさえずりのような。
「こんど会ったときにおしえてあげる!」
固まるアリノエーレに手を振りながら走って石階段を降りていく。
「だからそのとき、おにいさんもおしえてね」
(ぼくも あなたに)
ヴァルの姿が宵闇に粒より見えなくなるまで見送りながら、頬と胸を押さえてアリエノーレが呟く。
「女の子、ですか、」
伸び上がってきた身体の柔らかさ、少しだけ胸にふれたあの控えめな弾力。
「..名前」
ヴァル、ヴァル、と口の中で呟く。この短縮名は確か男性名であったはずだ。
ファーストネームではそう多く聞かないが、たしか、正式名は。
「..ヴァレンタイン」
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貴方に会って胸に湧いた感情に僕はうまく説明ができない
けれどまたすぐに会える気がした