4-01母、施設での暮らし始めましたお引越し荷物
母、あっちゃんは長年暮らした関東の地から、私の暮らす関西の施設に引っ越しをします。その際の引っ越しの時の荷物の話を紹介します。
母はそんなに高いものは持っていないのですが、服と食べることが大好きということで、春夏秋冬の服を持っていくことになったのですが・・・・
引っ越しには、上の叔母と下の叔母が4日間、私の実家で施設から帰った母と一緒に生活しながら手伝ってくれました。最後になるかもしれない姉妹の楽しい時間だったかもしれません。私は、引っ越し前日に関西からレンタカーを借り車椅子を積み移動しました。500kmの長旅でした。
母の用意した荷物
想像はしていましたがやはり多すぎました・・衣装箱4箱かなっと思ていましたが8箱になっていましたので、優先順位をつけて4箱に絞りました。しかし、それだけではなく、圧迫骨折しているのにサンダルやヒールを持って行きたがり、叔母達もそれは止めてくれました。そのほかにも無駄だなーっと思うものを詰め込もうとしていたので、後で送ってもらおうということで、泣く泣く諦めさせました。
母の忘れてはいけない忘れ物
自分のものは詰め込みたがったのですが、母は肝心なものを忘れてきたのです。
そ・れ・は、『父の位牌と写真』です。さすがにそれはないだろうと、少し、怒ってしまいました。置いてけぼりをくらった父は、どんな顔しているだろうと想像してしまいました。まあ笑っていたでしょうが
後日、私が関東に行った際に無事回収し、母のもとへ届けました。
やれやれです。
荷物の中でびっくりしたもの
母の収集癖のようなものは昔から知っていましたが、荷物の中でびっくりしたのが
パンツと下着でした。衣装箱1つに満載でした。しかも、未使用のものが・・・
各100以上はあったような気がします。どんな癖なのかわかりませんが
一生分の下着だねと笑ったのを覚えています。
母は、認知症ではありません・・(笑)
母が最期までこだわった荷物
母が最期までもっていきたがったのは着物でした。正直、見たこともない着物が何着も出てきて・・高そうなものもありましたが、もっていっても2度と気ない着物し・・と下の叔母に譲るわ・・っと諦めました。どこの家にもある話かもしれませんが、着物って時代が変わり扱いが難しいものですね。
荷物を積み込んで出発です
長年生活してきた家を離れるのは辛そうでしたが、思い切って出発しました。
道中もやや不機嫌でしたが、仕方がないと納得したようです。
次回は、施設に着いてからのお話を紹介します。