啓蟄も過ぎ、日の出の時間が随分と早くなってきて、太陽の光にも暖かさが増してきたある日の午後、男は庭の片隅に群生しているスノードロップが一斉に純白の蕾をふっくらと膨らませ始めていることに気が付いた。ウエディングドレスに譬える人がいるが、男は珈琲カップを連想させると思っている。エスプレッソ好きな男は、大抵はミラノに行った時に立ち寄った店で購入した厚みのある小さな黒い陶器のカップを愛用していたが、春めいてくると薄い純白の磁器を使いたくなる。
何にでも一家言ある男だったが、それだけ好奇心に満ちていて、向学心に溢れていると自負していた。それを煙たく感じ、面倒くさいと思う人々がいることは知っていた。むしろ、そういった人の方が大半であることも重々承知していた。しかし、どんなに疲れていても飛ばない鳥がいないように、どんなに手入れをしても薔薇は薔薇で牡丹にはならないように、人は変われない、そう男は独り言ちた。私は私にしかなれない。
男は春の土の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。未だ妻であった女性が年下の男と浮気をしていると分かり、彼の自尊心が大いに傷つけられ、それまで念じたことは全て手にしてスターダムにのし上がって来た男にとり受け入れがたい現実に、対処法が分からずにひどく狼狽した時、男を救ってくれたのは土の香りであった。金融業界の表面的でフェイクな世界に嫌気が差してきた時でもあったし、何かに追われるように駆け足で過ごしてきた人生を立ち止まって方向転換することで、運命の荒波を乗り越えようと思い立った。一年間休職し、園芸学を学ぶことにしたのであった。
久しぶりに太陽の下で土を耕すと、額から汗が滝の様に流れてきて、男は漸く人間らしさを取り戻した思いだった。そして、自分の腕はフットボールを抱えるためでも、女を喜ばすためでもなく、植物を育てるためにあるのだと、初めて悟ったのであった。土の香りは男の傷ついた心に癒しをもたらした。採り立てのトマトは青臭く、きゅうりは瑞々しかった。薔薇の剪定をする時に棘が男の腕を傷つけると、男は痛みに顔を顰めながら、汗とは違うものが頬を伝うのを感じた。農耕作業の後の身体の疲れは、数値を追いかけていた時の頭脳の疲れとは別の類のもので、むしろ心地よかった。同じように、人間社会で受ける心の痛みとは違って、剪定作業で受けた腕の痛みは、むしろ自然界で受け入れてもらえたように思われ、ありがたかった。こうして男は、人間としての自分を取り戻したのだった。
それでも一年が過ぎようとする頃、君のような逸材を埋もれさせていくわけにはいかない、君の頭脳が今こそ待たれていると言葉巧みに業界復帰の誘いを受け、称賛と言う甘美な誘惑に打ち克つことなく、断る理由も見つからず、再びシティに舞い戻ったのであった。
男は芽吹いたばかりの薔薇の赤い芽を見つめながら、あの時戻ったからこそ、運命の出会いがあったのではないかと自己肯定をした。いつでも選択を余儀なくされるのが人生であり、男は過去の自分の判断を後悔することは、馬鹿げていると常に思っていた。
彼女の誕生日に花束を贈った時は、彼女と再会を果たしたような、久しぶりの邂逅に胸が震えた。その高揚感は暫く続いたが、時間が経過するにつれ、彼女と繋がったと思っていた線が実は儚く、彼女の手まで届いていないのではないかと思うに至った。男からの贈り物だと分からないのではないかとの焦燥感に駆られた。そこで、バレンタインに向けてカードを送ることにした。これなら、彼女は男の存在に気が付くだろう、そう思っていた。
男は待つことには慣れていた。どんな植物でも簡単には実はならない。柿栗三年、桃八年というではないか。それでも、庭の薔薇が季節最後の蕾を咲き終える頃には、彼女が男の連絡先を失くしてしまった可能性について考えざるを得なかった。彼女が連絡をとりたいにも、とれない状況にあるに違いないと思われた。彼女が無視しているとは到底考えられない自分に気が付き、自嘲気味となったが、それがどうした、大いに結構ではないか、とむしろ開き直ると、腹が据わった。人生、望みを捨てたら絶望しかない。
こうして今回、男は初めて自分の連絡先が分かる格好で彼女に手紙を送ったのであった。それにしても、手紙を送ってから暫く経つのに何ら音沙汰がない。フランスの郵便事情が如何にお粗末なものか、今更嘆いても仕方ないが、未だ彼女の元に届いていないのではないかと不安に思った。天を仰げば真っ青な空が広がっていて、ぴーひょろひょろひょろと鳶がいかにも気持ちよさそうに大きな翼を広げて飛んでいた。あの鳶に手紙を託せば良かったか。男は眩しそうに鳶を見守った。