私にはもうすでに成人した娘がいる。
娘を妊娠中の昔の話になるが、逆子が治らなかったため
希望していた自然分娩が叶わず、結局予定帝王切開で出産することになった。
陣痛が来る前に早い時期に取り上げないといけないので、
無事に生まれてきたはいいが、週数が満たない娘の体の小ささを申し訳なく思い、
しばらくは自分を責める日々が続いた。
結果的には無事だったのだからそれでいいのではないかと
頭では理解しているが心が追い付かなかったのだ![]()
人は「気にしすぎだ」といってきたが、そんなことはない。
それはその人の物差しで判断したこと。
誰にだって弱点があって、立ち直るのに時間が掛かるものなのだ。
実は私は子ども時代はとても体が弱く、
その治療の為に使った薬の副作用のため、今も体に後遺症がある。
その影響もあってか、食べ物にしろ化粧品にしろナチュラル系のものを
好んでいるため、出産においても助産院での誕生を望んでいた。
人生が思い通りにならないのは当然で、そこから人はどう学ぶのかが
何よりも大事なことだと分かっているけれど、
若かった私がそこを納得させるのに時間は当然必要だったと思う。
ある時、まだ娘が小さく帝王切開のショックから
それほど立ち直っていなかった時期だったか、
書店でぶらぶらと立ち読みをしていたら、
とてもショッキングな文面に出会ってしまった。
「帝王切開で生まれるとバーストラウマでいかに苦しむか」ということが
つらつらと書かれていたのだ。
著者はスピリチュアル界隈ではそこそこ有名な人かもしれないけれど、
あまりに淡々と、だけど突き放したような表現に配慮はなかったと思う。
ではどうすればいいのか、という具体策が載っていたわけではなかったので、
その部分には腹立たしく感じたし悔しかった
何よりも世界で一番大切な娘が苦しむのは、親として心が張り裂けること。
たかが知らない人が書いたものとはいえ、娘に対して負い目があるために
余計その愛のない表現には堪えた。
その人にとっては真実かもしれないし、ある意味事実かもしれないが、
不特定多数の人が読む媒体には気を遣うべきだろう。
編集者が絡んでいるなら尚更気を付けて欲しかった。
今私はこのブログの書き手として自分の書きたいたものを
自由に書かせてもらっているが、
それでも多少の批判が混じるものには、
人物が特定されないように気を遣っているつもりではある。
とはいつつ、もしかするとよくないエネルギーを感じさせる
記述もあったかもしれない。
で、結論![]()
物書きの端くれとして、誰かを傷つけはしないか?
知らないところで誰かの強い恐怖心を呼び覚ますことはないか?
そういう目線で物を書くのは大事なことかもしれない。
刺激が強そうな文章にはあらかじめ「閲覧注意」の言葉を添えること。
そして出来る限りユーモアを持って書き上げること。
何よりも根本に愛がないと、後味の悪い文章に仕上がってしまうだろう。
「ペンは剣よりも強し」とはいうが、人を奈落の底に突き落とすのもペン、
人を勇気づけるのもペン。
だからこそ書き続けていく限り、愛を忘れず表現していきたいと思う。