H26年6月18日 水曜日

広島県は福山市より


朝から雨が降り続いています

幼少期、私は雨の日が大好きでした
雨が降る度に傘を壊して帰り、母に怒られた事を思い出しています

私が幼少期住んでいた町は坂道が多く
雨が降ると溝の中に傘を広げ入れ
溝でダムをよく作って遊んでいました

今となっては昔の懐かしい思い出話になっており、子供達に話を聞かせています





すい臓ガンと闘う家族




日本人の2人に1人が何らかのガンに発病する現在
私自身、母にガンが告知されるまで
ガンとは...
全くの他人事であり、気にもしていなかった

TV,Newsなどの特番を見て、怖い病気だとは感じていたが
翌日には忘れて何気ない食生活、私生活を続けていました....


ガン (癌)


治る、治らないは別として...
やはり恐ろしい病気だと実感しています...













母がすい臓ガンと告知され、この日記も39回目(Thank's You)になりました。
これまで沢山の方から励まされ、応援のメッセージを頂きまして



本当にありがとうございます



すい臓ガン末期 Lebel 4B 余命6ケ月と医師から宣告され、約2年と6ケ月
様々な苦労、苦痛と必死に闘ってきましたが

H26年5月27日 午前10時

行年71歳にて生涯をとじ、新たな世界に旅立って行きました




今思い返せば...
長かった様な、短かった様な...
数えきれない位悩んだし、涙した

親父と意見の違いで沢山喧嘩もした
治療方針、治療費などの金銭的負担、目に見えない何かからの重圧
日記だけでは書ききれない沢山の苦労があった

そんな生活の中にも
私達家族には母との楽しい思い出も沢山あります


母の調子が良い時には沢山外出もした
家族全員で母の故郷である新潟にも帰郷した
週末にはお弁当を作り、花見や山菜採り、公園など沢山出かけた
道の駅や農協などにも無農薬野菜やキノコ類など探しに
毎週の様に出かけていました

母が好きだった温泉旅行にも沢山行った
高級な宿ではない一人4000円程度で宿泊出来る旅館だったけど
晩御飯の後、広間で母と父が一緒にカラオケで歌う姿
早朝見に行った、神秘的光景の雲海
今でも家族全員鮮明に記憶に残っています



お母さん

この2年間...
毎日、毎日色んな事があったね
お腹や背中相当痛かったはずなのに
私が実家に帰宅すると
「 おかえり 疲れてない? 」
いつも自分の事より私や父の心配をしてくれていた母


本当にありがとう


職場から実家に帰宅してから定番の会話だった


母が発病してから生活改善として始めた食事療法
私自身、調理経験や知識は若干あったので
試行錯誤を重ね、両親に晩御飯を作っていました

色んな書物、インターネットなどで調べ
肉類、脂物、砂糖などを排除しての自己流食事療法

毎日の無農薬レモン2個以上、野菜ジュース
ニュージーランドから仕入れたマヌカハニー
プロポリス、生ローヤルゼリー、
鉄分、葉酸、ビタミンB系など
様々な補助系サプリなど母に摂取させていた


特に菓子パンや甘系の物が好きだった母
私の作る料理やレモンなどにストレスを絶対に感じていたはずですが

母は文句一つ言わず
私の作る味気無い料理を食べてくれました

私が作る料理、殆どが無塩に近いメニューだったので
何とか盛り付けや見た目で少しでも楽しんで食事が出来る様にと工夫した


本当は痛みや抗がん剤による副作用で食欲も無かったはずなのに

「 美味しいよ ありがとう 」

いつも文句言わず食べてくれた母



本当にありがとう










この2年半...
不安や痛み、苦しみ
様々な数えきれない山を沢山乗り越えてきましたね

余命半年と言われ2年と6ケ月
母は立派な勝ち組だよニコニコグッド!
ガンに負けたなんて思っていないから...

最後の最後まで、精一杯頑張った母
その強く逞しく生きた母の姿、しっかり記憶に残して生きていきます

お別れの時の母の顔...
今にも起きてきそうな位
綺麗で穏やかな、子供の頃に記憶する優しい母の顔でした

心から母の子供として生まれた事に感謝の気持ちで一杯です
71年間の人生、本当にお疲れ様でした


天国につづく高架線に乗って
今までの疲れた体をゆっくりと癒してね


そして...
親父や兄貴、私の家族を天国から見守って下さい